日本人と「行間を読む」力

どこの国の人が「行間を読む」のが得意なのか? 日本では、もしかすると日本人は行間を読むのが得意で、西欧人は苦手であると思い込んでいる人もいるようである。

しかし、それは大いに疑問だ。

私の見解では、実は日本人は世界の中では、あまり得意な方には入らないのではないかと思う。どちらかというと言われたことをそのまま素直に信じるタイプであるように思う。(むしろ言霊に信を置いているようである)

ヨーロッパでは、フランス人は行間を読むことに長けていると言われる。言葉で言わず、大げさな表情をするでもなく、意思を伝えることが、外交などでも活かされているという。それは、スポーツや戦いにも当然活かされることになる。

イギリス人も長い間フランスに支配されていたせいか、行間を読み、二枚舌や三枚舌を操るという。これら二国の「行間を読む」という言葉の裏には、別の意味が含まれている。つまり、相手を欺いて、真実とは異なる別の意味を読み取らせる能力が、行間を読むことの上に積み重なることになる。

さて、アメリカ人も、日本人程度かそれ以上には行間を読めるのであるが、ヨーロッパからはちょっと下に見られており、行間を読まないと評されている。これを日本では鵜呑みにしてしまい、アメリカ人は力技で直球勝負であるかのように解釈する節がある。

これは明らかにアメリカ人に対して過小評価である。大金をかけた時のアメリカ人のポーカーフェイスは、ヨーロッパ人に勝るのではないかと思われる。さればこそ、ビジネスで世界の勝者になれるのである。

日本人は、相手が悪意を持っていたり意図を隠しているような場合には、なかなか本心を見抜けなくて、いいように振り回されてしまう。

日本人の行間を読む力には疑問があると冒頭で書いたが、相手が心地よく過ごしているかどうかを読む力はかなり高いのではないかと思う。

しかし、相手が寛いでいるか、快適に過ごしているか、といった観点では、相当に高いレベルで感応する能力を有しているように思う。感応しすぎる面もあるかもしれない。

このように、日本人の持っているホスピタリティ、いわゆる「おもてなし」の力は大変に優れていると思う。

善人で騙されてしまうけれど、手厚くもてなすことのできる国民とは、まあ何て愛らしいのでしょう。実際はそこまでではないけれど、そんな、利他的な国民性があったっていいじゃないかと逆に思う。

人を騙す国民であるよりも、まだ騙される国民である方が良い。と、そんな風に多くの日本人が感じているのであれば良いけどなあと思う反面、ただ騙されすぎるのも、ちょっとどうかと思うのである。


関連記事:
・「日本語の「くすむ」とは
・「東京弁の人を確実に見分ける方法

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください