二度と戦争をしないために

戦争をしないためには、どうすれば良いのか。二度と戦いませんと日本の憲法で誓うだけで、それが実現するのだろうか。攻撃されれば守らなければならない。力でやり込められたら、大切な人や街を失うかもしれない。

二度と戦争をしないために

攻撃されたり、力でやり込められても、今の世界には正義がない。やられたらやられっぱなしで、それに抗すれば戦闘となってしまう可能性がある。

1945年に日本が戦争に負けて、日本の戦争責任が認定された。そこではアメリカの力が強かった。戦争責任については、多くの日本人が不審に思っていないことは逆に不思議である。不服があっても何も言わなかったのかもしれない。戦争責任を敗戦国がかぶるのはよくあることだが、本当の責任が敗戦国だけにあるとは限らない。

戦争が終了した時に、日本の責任で大きな戦争を招いたということになった。日本はそういう条件で合意したということなのだ。無条件降伏という。現代の感覚ではかなり野蛮な条約である。

アメリカの領土になってもおかしくなかったのに、日本の独立を認めてくれたという恩情を表明する人もいた。とにかく当時の日本人はそれを納得した。いや表面上納得したのかもしれない。でも靖国神社を参拝するのである。

戦争の責任

日本人の発想を単純に言うと次のようになる。

1. 戦争は日本の責任である
2. 日本が二度と戦争をしないと誓う
3. もう戦争は起きない

論理的には通じるけれど、これは正しいのだろうか。戦争が起こる原因は日本だけではない。国内外からは、経済的な圧力もあれば、軍事圧力もある。

日本がアメリカに戦争を仕掛けたとされる、その何年も前からアメリカは日本に対して原油の供給制限をかけていた。その後、アメリカは日本への原油の供給を完全に封鎖した。日本が原油を輸入していた友好国に対して、アメリカは外交というよりは軍事的な圧力をかけて、日本に原油を提供することを禁止した。

完全な原油輸入規制である。それがどれだけ危険なことかアメリカは当然認識していた。もうどこからエネルギーを得る当てがなくなり、そして日本が暴力に出たわけである。アメリカの想定した通りに進んで行った。

アメリカの狙いは満州を取得することにあったので、それを先に占有した日本に不満を示していた。アメリカが暗に要求しているままに、日本が満州を全て無償でアメリカに引き渡せば、原油の輸出封鎖は緩められたかもしれない。あるいは戦争に持ち込んで戦って獲得する方がリスクは高いがリターンは大きいと考えたかも分からない。

例えば、次のような話を考えてみる。中学校でクラス中からいじめられて、いじめの首謀者から「100万円持ってきたら許してやってもいいぞ」と要求される。ちょっと近くの子を突き飛ばしてみたけど、逆にボコボコにされてしまう。

しかし、この時に「はい、分かりましたと返事をして、お金を渡して僕が我慢さえしたら戦争にならなかったのだ」という反省を日本人はしているのではないか。結局、100万円をはるかに超える大金を失い、帽子も靴も洋服も取られて、丸裸にされて、しかも「いじめはありませんでした。悪いのは僕一人です」と言わされてしまう。

もちろんこれはたとえ話であるが、これは正しいことなのだろうか。戦争がなく、相互に不平等がなく友好な関係は良い関係と言えよう。その逆に、国際社会の中で孤立するような状態、敵を作るような関係を継続することは危険である。

大人の振る舞い

こういうことが起きないように事前に手を打って行くことが、戦争を起こさないために必要なのである。いじめられても自殺に走らない国家を作り、そこから安定した国際関係を作ることが必要となる。

アメリカも中国も100年以上周辺の国々といざこざはあっても、競り勝ってきた強者で、言ってみれば、いじめにあったことのない国なのだ。

ロルフ・ドベリという人が書いた『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』という本を読んでいたら、「世界に公正さを保つためのシステムは存在しない」という言葉があり、悲しいけれどもその通りだと思った。それでも、その中で強く生きていかないとならないのだ。人も国も。

日本人も公正な責任感を持って、国際社会で大人の振る舞いをしていく必要がある。加害者となったら謝罪して責任ある対応を取り、同時に被害者となったらそれを訴えて是正を求める。謝罪だけをしている国はまともな国とみなされないし、訴えるだけの国もまともな国とみなされない。

公正な報道

自国のことを過剰に貶めるのは、公正ではない。結果的に、中国や韓国の反日感情を煽るような活動となっていることもある。

朝日新聞は、慰安婦問題について強制連行があったかのような虚偽の報道をしていたことを認めて2014年に謝罪したが、「事実である」として報道された情報はもはやどこまでが真実なのか分からないような状態になっている。

一方で、日本でも多くの日本人が米軍によって被害を受けていることも忘れてはいけないと思う。

そしてもちろん、それとこれとは別である。ただ、戦争について言えば、加害者であり、同時に被害者でもある。先に示した「植え付けられた戦争責任感」をベースに考えてしまうと、加害者としての反省だけが必要で、被害者としての訴えを取り下げてしまうことになる。

それでは公正ではなくなってしまう。

日本にとって、一番大きな人道的事件といえば、まず広島と長崎の原爆による無差別殺人だ。東京をはじめ大都市への大空襲もある。軍事基地とは全く離れた市街地への焼夷弾の攻撃は非人道的極まりない。

加害者でもあり、被害者でもある。その両方に対して誠実な対応が必要となる。そのためには、事実に基づいた公正な報道が求められる。

時代は変化する

韓国で慰安婦問題や戦争被害が再燃しているのは、ある意味で時流の変化なのではないか。一旦は、補償して落ち着いたかと思ったけれども、気持ちが収まらないということがあるのだろう。

日本は無条件降伏をしたので、どんな罰でも受けます、そして被害については一切を水に流します、もう何も文句も言いません、というのは、日本人の発想であって、他の国々に一般的な発想ではない。今も日本人はこの呪文から逃れられないでいる。

日本への核兵器による無差別殺人の償い、日米地位協定とアメリカ軍の駐留の見直し、そして日本のアメリカ支配からの脱却については、再考する時が来たのではないだろうか。

正論で言っても、十分に世論にマッチするテーマであると思うが、一体何に躊躇する必要があろうか。日本もアメリカに対して、対等な権限を主張しても良い時が来ているのではないか。

国際社会でのバランスを取る

日本は、韓国、中国、ロシアと隣接していて、領土問題がある。アメリカからはいまも軍事的に支配を受けている。ヨーロッパ、アジア、オセアニア、中南米、アフリカとも様々な関係がある。

世界は、もはや単独では成り立たないのである。中国と経済戦争をしているアメリカだって、中国の産業を当てにして成り立っている。

公正なルールで、一人勝ちすることなく、また大きく負ける国も作らずに、各国の特色を生かした関係性を作れたら良い。

率先して平和活動を

平和というものは、世界で作っていくものであり、一国で作れるものではない。核兵器の廃絶、軍事の縮小、領土問題の凍結、駆け引きによる関税操作禁止、虚偽報道の廃絶・・・。

その国の方針を支えるのは、それぞれの国の人々の意思であるはずだ。現実には、一部の権力者の地球の陣取りゲームになってしまっている。本物の兵器を作り、本物の軍隊を動かしたい人がいるから、莫大な軍事費が費やされている。

軍事費は、2018年の推計では世界合計で約1兆8221億ドル、そのうちの36%がアメリカでトップ、2位が中国で14%である。この2国で50%に達し、日本は地理的にこの2国に挟まれている。

シニカルに言うと、お金持ちは、兵器、エネルギー、情報関係を得意としている。経済発展を望むお金持ちたちは、戦争をやり始める。社会の福祉厚生のコストが減ラス口実になり、国内外の需要が増え、経済は活性化するかもしれない。しかし駒となって動かされる兵隊は傷つき、市民も傷つくことになる。

経済の発展を目指すということ自体が、大企業の権力集中を高めることにつながる。つまり、経済発展を目指す政党を支持することは軍事ゲームに賛成することになる。

人権と平等を第一に考えること、この考え方を発信して、世界にも広めていくことをするべきだ。核兵器禁止条約にも署名するべきだし、環境を守る活動も必要だ。日本が率先して世界で平和活動をすることが、日本の平和につながるだろう。

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