おみおつけ=お味噌汁、遊び心のある東京の言葉、太宰治『女生徒』にも

私の育った家では「お味噌汁」のことを「おみおつけ」と言っていたので、世の中の人は皆「おみおつけ」と言うものだと思って育った。周囲にも「おみおつけ」という人はいたように思う。

「おみおつけ」とは「お味噌汁」を丁寧にした言葉である。

1970年代の東京の学校給食では「みそ汁」が出ることはなかったので、学校で「おみおつけ」を食べることはなく話題にはならなかった。

おみおつけ

当たり前と思っていた言葉が、実は一般的ではないとのだったと知った時にはちょっとしたショックがあるもので、もちろん、「味噌汁」という言葉は知っているし、それは「おみおつけ」と同じか、あるいはよく似たものであることも知っていた。

さらに、「汁」という言葉、「シル」という音があまり美しくないものだと思い込んでいた。それはやはり母の影響だったろうと思う。母は「豚汁」とか「何とかジル」と名の付く料理は一切作らなかった。

私の母方の祖父・祖母は「おみおつけ」と言っていた。それが母に伝わったわけだ。一方で、父方の祖母は「おつけ」と言っていた。その時の私はまだ小学校の低学年で、「おつけ」って何だか変だなと思っていた。「おみおつけ」だろう! と思っていた。

その後、大人になるにつれ、「おみおつけ」という人が周辺からどんどんと減っていって、父も母も亡くなって、もう周りに誰もいなくなってしまった。悲しいことである。

宮中の女官たちの言葉が起源

結婚してから気がついたのだけれど、妻は「おみおつけ」という言葉をそれまで生まれてから一度も使ったことがないという。そんなことがあるものか、と思った。

味噌汁とおみおつけは、ほぼ同じものであるが、何かが違うと思っていた。物質的には同じかもしれないが、食文化のというのか、生活感覚というのか、何かが違うように思われるのである。

今の知識で言えば、おみおつけというのは、宮中の女房言葉であるという。女房言葉(女房詞とも書く)は、もともとは室町時代初期頃からの宮中に仕える女房が使い始めた遊び言葉であり、それが江戸の大奥や明治維新後の女官たちに引き継がれていった。

江戸の大奥から明治の女官へは、新政府に敵対していた国の女官は除かれただろうが、女官たちはそのまま幕府から宮中に異動していった。そして、女官言葉もそのまま引き継がれたのである。

女官たちの言葉は、東京の山の手に伝わっていった。標準語ではないけれど、方言というには使っている人々が主に女官たちであるので、言葉の使い方には何かしら異なる意識があったのだと思う。

それから、「おみおつけ」などの女房言葉は東京に広まって、今では東京弁になった。東京弁を使う人が少なくなって、これはまた寂しいことである。

その他の女房言葉の例

おかか:鰹節と言えば良いものを最初の一文字をとって、それに「お」をつける。そして、「か」を繰り返すのである。現代のギャル語と近いものを感じる。1000年前の平安時代にも、文学女子が様々な言葉遊びをしているように思う。

おかず:なぜ「おかず」というのかと言うと惣菜を数々並べるからだそうだ。

おでん:田楽が元にあって、読みの「でんがく」の「でん」を取って、先頭に「お」をつけて、「でん」を足す。「お」+「でん」である。実に、単純な造語である。しかし、天ぷらを「おてん」とは言わない。

おなか:元の言葉は、腹である。真ん中なので「お」+「なか」。

おなら:屁とか放屁という言葉の方が古くて、その後に音を「鳴らす」から「おなら」だという。鳴らなかったら、おならではないのかもしれない。明るい音でぷっと鳴った方が気持ちが良いものである。

おひや:冷たい水、ひやみず(冷水)から「お」+「ひや」。

おみおつけ:漢字の当て方や語源には諸説あるが、「御御御つけ」と考えるのが女房言葉のパターンから類推すると、もっとも可能性の高いものである。とはいえ、この語源が言葉の成り立ちの定説として完全に決着したわけではない。「付け」というのはご飯に付けるものを言った。「おつけ」というのは吸い物か味噌汁のことを指す。元は吸い物のことだっただろうと思う。

この言葉は近畿圏で一般的だったが、その後に、女房たちが頭に「おみ」をつけて、「おみおつけ」となった。「おみ」は後から付けたものなので、「御身」の意味ではない。類似のパターンには、「おみ足」がある。少し新しいようだ。

おめもじ:「お目にかかる」の「おめ」+「文字」で「おめもじ」とは、何と軽くて明るいことか。

そして庶民に広まる

他にも、女房言葉はたくさんあるけれど、遊び心がいっぱいである。このような言葉が、宮中だけでなく、江戸の庶民にも次第に広まっていった。江戸の町人は、またそれなりにいろんなダジャレや掛言葉を綴っていくたわけである。

言葉で遊んで楽しむ文化というのは、本当に奥が深い。これは本当に日本の良いところだと切に思うのである。

*以下、2019年8月16日加筆

太宰治と「おみおつけ」

太宰治の小説『女生徒』のはじめの方に、次のような一節があるので引用する。

「おみおつけの温まるまで、台所口に腰掛けて、前の雑木林を、ぼんやり見ていた。そしたら、昔にも、これから先にも、こうやって、台所の口に腰かけて、このとおりの姿勢でもって、しかもそっくり同じことを考えながら前の雑木林を見ていた、見ている、ような気がして、過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられるような、変な気持がした。こんな事は、時々ある。誰かと部屋に坐って話をしている。目が、テエブルのすみに行ってコトンと停まって動かない。口だけが動いている。こんな時に、変な錯覚を起すのだ。」

この『女生徒』は1938年に東京生まれの19歳の女性読者有明淑から送られた日記を題材にして、太宰治が小説に書き上げ、1939年に出版された。

80年も前の文章とは思えない若々しい文章である。おみおつけを温めている雰囲気がとても新鮮である。女生徒の繊細な気持ちの動きが詩的であり、かと言ってとても自然で何となく音楽的でもある。素敵だな、おみおつけ。そして、太宰治の文章が。


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“おみおつけ=お味噌汁、遊び心のある東京の言葉、太宰治『女生徒』にも” への2件の返信

  1. おもしろいね。
    グラタンが焦げているのは気になるかも。
    グラタンは、焼き物とでもいうのかしらね…。

  2. ありがとうございます!
    グラタンというのはお料理の写真ですね。
    この女房言葉で言えば、「おグラ」となるのか。
    「おぐぐ」かもしれない。
    あるいは「おみおぐら」か?!

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