東京弁の人を確実に見分ける方法〜アクセントと東京言葉

江戸っ子という人は、江戸言葉(江戸弁)を使っていたわけだけれど、山の手言葉とも合流して、その後もいろいろと変動があって、標準語に近い言葉となった。東京弁も他の地方の方言と同様、年々薄まってきており、今も東京弁は残っているとはいえ少しばかり影が薄くなって来た。

東京語(東京弁)と標準語

1867年のパリ万博の少し前に録音された江戸の町の女性の声が録音された音声を聞いたことがある。言葉はどんどんと時代とともに変わるけれども、驚いたことにテンポも早くてイントネーションも言葉の感じもまったく違和感がなかった。

落語のお女将さんの言葉として聞き慣れている、そのままの雰囲気であった。150年の隔たりは全く感じられない。逆に、戦中戦後のニュースやスポーツ実況に強い違和感がある。

平安時代の文学を研究している某教授の話によれば、平安時代の人と今ここで出会って話しても普通に話ができ、困ることはないのだそうだ。文法も言葉の意味も大きくは変化していない。

もちろん、現代の人が平安時代になかったものをカタカナや英語で話しても通じない。今、カタカナ語は当然としても、漢語も外来語であり、ほぼ通じない。ほとんどは平安時代より後に日本に入って来ているものだからである。

さて、1800年代の下町言葉が、つい、そこの浅草の言葉とあまりに同じだったことを喜んだわけだが、これは別に驚くには当たらない。話し言葉というのは、新しい言葉が次々と生まれてくるけれど、基本の文法は変わらず、文脈の根幹をなす語彙の意味は大きく変化することはなかったのだ。実は一番変化しないのは話し言葉なのだ。

現代の東京方言

東京には、江戸言葉と山の手言葉と大きく二種類がある。江戸言葉(江戸弁)は、落語のような言葉で、いわば「べらんめえ調」である。山の手言葉は現代の標準語に近い。江戸の武家が用いた言葉がベースになっている。

この山の手言葉を基にして標準語を整備しようとしたのだ。ただ完全に同じものではない。

「標準語」というと基準であって、「正しい」というようなニュアンスが付きまとうので、そうではなく「共通語」という言い方が出てきた。現代の日本で実際に話されて書かれている言葉の共通項を一般化しよう考え方である。

東京弁のアクセント

さて、東京弁も東京式アクセントによるのであるが、英語とは異なって、アクセントというものは強弱にはあまり意味がなく、音程の高低によって同音異義語を区別するようになっている。

音の高低を文字では表現するにはいくつかの方法がある。日本語のアクセント辞典ではいろいろなパターンに分けている。NHKの新辞典は音の上がり目が表記されなくなってしまい、使いにくくなった。

基本のアクセントの型は、頭高型、中高型、尾高型、平板型である。例を挙げると、頭高型は「富士山」、中高型は「涼しい」、尾高型は「弟」、平板型は「新聞」などである。

まず「こんにちは」、これは関東の発音を想定していただきたい。「こんにちは」も標準語と東京弁と同じである。

言葉の最初は低くて第2音節から高い音になる。第2音節以降は音程にも強弱にも変化は全くなく、平板な発音となる。

次は「4月」。カに半濁点みたいな丸が付いているのは、鼻音を表している。音の高低は「こんにちは」と同じで、音の出だしが一番高いことはないということが重要である。二月も同じ発音をする。

本当を言うと、この鼻音がないだけでも、ものすごく強い違和感がある。またその逆になってしまうが、鼻音を練習する方々は、ほぼ100%やりすぎである。普通に「ガ」と言えばよろしい。(鼻音については後述)

 

2月や4月のアクセントが頭高型は東京弁ではない

「四月」と言う時に、「し」を一番強く高く発音してはいないだろうか? それは東京弁ではない。「シガツ」と言って欲しい。四月は「シ」が低くて「ガツ」が高い音となるのが東京の発音だ。標準語も同じである。(政治家や学者等は業界の特徴として、語頭にアクセントを置いて、強く高く発音する人が結構多い。)

アクセント辞典で二種類が載っているのに注意いただきたい。これは実はどちらでも良いというわけではないのだ。使い分けるのである。「4月は」という場合は「シワ」となる。「4月の」という場合は「シガツノ」となる。これがアクセントが二つある理由である。

困ったことに、神奈川、千葉、埼玉に「ガツ」と発音する人々が多いのだ。周囲に押される形で、東京発音がじりじりと減少しているようである。今では東京弁で4月を発音できるのはNHKアナウンサーが最大の味方である。標準語とアクセントが同じで良かった。

それにしても「4月」を標準語で発音しない人が実に多いことか。「がつ」とか「がつ」言われると、何やら背筋が気持ち悪く、落ち着かない気分になるのだ。言葉は生き物なので、どんどんとかわっていくものである。昨今では大多数が「がつ」となっているようだ。

政治家が大抵の言葉の頭にアクセントを付けて連呼するのも、アクセントを混乱させる一因と思われる。政治家の連呼する「頭高型」の言葉が耳にこびりついてしまう。

それに輪をかけて、ニュース解説者や学者もまた、言葉を何から何まで「頭高型」にする人が多い。その一方で、若者は多くの言葉を「平板型」にして発音する傾向がある。

東京弁だけでなく、標準となる日本のアクセントが一定ではなくなり、コミュニケーションに支障をきたすこともあり、憂慮に堪えない。

アクセントの変遷について

東京語のアクセントの変化については、いろいろと研究もされているが、興味深いのは、童謡「赤とんぼ」である。

「夕焼け小焼けの赤とんぼ」と歌う、三木露風が作詞し、山田耕筰が作曲した歌である。この歌の中で赤トンボは「かとんぼ」と歌われる。「あ」が高い音で次の「か」が低い音になっている。

山田耕筰は今の東京文京区に生まれた音楽家で、日本語の抑揚を生かした作曲でも知られたが、彼は「かとんぼ」とメロディーをつけたのである。

それを不思議に思っていたが、当時の東京では「かとんぼ」という頭高型のアクセントだったのである。それが、時代を経て、「あかとんぼ」というアクセントに変わったのである。

他にも朝日のことを「あひ」と中高型に発音したそうである。今では高齢となった方はこのような発音をされているかもしれない。時代によって、変わるのである。

若い人たちは、頭高型を平板型に変えていく傾向があり、抑揚は少なくなってきている。一方で、古い人たちはそれに抗して頭高型を連呼するのであるが、両者の語彙の集合が異なるので、ギクシャクしてしまう感は否めない。

言語は生き物であるなどと言っても、ある程度の安定性は必要だと思う。外国人もアクセントを一生懸命覚えているのである。「橋と箸はどう違いますか?」

鼻音について

東京弁の鼻音は衰退しつつあるようだ。語中の「ガ」が鼻濁音になるようにと定めた理由は、東京弁の山の手言葉を手本としたからである。山の手言葉をそのまま標準語にしようと意図する筋があったらしい。

鼻音とは、母音を発音する際、口から息が出るのと同時に鼻から空気を抜く発音方法のことである。フランス語の鼻母音はかなりの空気を鼻から抜くのだが、日本語ではあれほど強い鼻母音はない。

普通に、というか少し強めに「あっ!」「いっ!」「うっ!」「えっ!」「おっ!」と発音する。その時に、鼻の真ん中を手で軽く押さえて、ビリビリと震えるかどうかを確かめる。

最近では「あっ!」と音を発した瞬間に、ビリビリっと震える人が多いようだ。「あっ!」では鼻は震えないけれど「いっ!」では震えるという人もあるだろう。

震えた人は、オペラ歌手をイメージして、澄んだ音で頭のてっぺんから音を突き抜けて出すようなイメージで、高い声で「あー」と出してみていいただきたい。鼻のブルブルっという細かな振動が止まったとすると、普段から鼻母音を出していたということになる。

鼻音は「レンガ」や「銀河」など、前に「ん」がある言葉で練習すると良い。ただし、「四月」のように前に「ん」が付かない場合は「んが」とならないように注意がいる。

「んが」と二音節のようになってしまうのは、ちょっとやりすぎで、それでは東京弁ではなくなってしまう。標準語でもない。実に微妙な加減である。

完了の助動詞「ちゃう」について

「ちゃう」という言葉は、今では東京以外でも使われるようにもなってきた。関西芸人でも使っている人は多い。「食べちゃったよ」とか、会話で使う言葉で、くだけた雰囲気の言葉である。標準語で言うなら「食べてしまったよ」となる。

東京では「てしまう」を「ちまう」と言うことがある。「行ってしまう」を「行っちまう」などだ。これが「行ってしまった」となると、「行っちまった」となる。これがさらに変形して、「行っちゃった」となった。

文学作品中に登場したのは、明治24年の山田美妙著「白玉蘭」であるという。会話の中で「弱っちゃった」と表現されている。まだ、明治の20年代には「ちゃう」言葉は、東京の俗語であって、上流の人が使う言葉ではなかったようである。(飛田良文『東京語成立史の研究』東京堂出版、1992年、pp.593-614、参照)

ところが、読売新聞の明治38年3月16日の「女学生の言語」という記事では、女学生が「なくなっちゃった」と話しているというのである。明治の女学生というのは上流の部類に入るだろう。明治38年の高等女学校進学率は5%に満たなかったのである。江戸弁由来の言葉が、山の手にも浸透していったことがうかがえる。

東京弁チェック

東京弁かそうではないのか、曖昧なものをチェックしていく。

〜じゃん

地方からの人は、東京弁のように見えるかもしれないが、落語では「〜じゃん」という言葉は使われない。武家の言葉にもない。江戸時代の江戸にはなかった。

昭和の頃になって、東京でも使われるようになってきた言葉である。つまり、古い時代にはなかった。横浜言葉だと言われることもあるようだが、どうも横浜の言葉でもないらしい。

昭和以降に、静岡とか山梨県の方からの流入者が持ち込んだ言葉が広まったという説が有力だ。したがって、「〜じゃん」は東京弁でも横浜弁でもないということだ。

東京弁では「〜じゃん」と言わない代わりに、「〜じゃない」と言う。「もう食べたじゃない」など。断定の助動詞である。否定の意味ではない。これを「じゃん」が上書きした形である。

「でしょう」を「でしょ」というのも東京弁である。「さっき言ったでしょ!」みたいに使われる。

落っこちる

大人になるまでこれが東京弁だとは知らなかった。確かに、ちょっとフォーマルな場所では、「落ちる」というのだ。「引っ返す」とか「追っかける」とか、全て東京弁である。

パソコンでも普通に変換できてしまうので、気づかなかった。使う人が多くなったので、登録されているのである。実は、「引っ越し」も東京弁がルーツである。今となっては「共通語」になっており、他の言い方が思いつかない。江戸っ子の楽しみの一つが「しっこし」だったなあ。(江戸っ子発音)

こないだ

「こないだの金曜日にね」とか使う。「先日」とか「この前の」、「つい最近」という意味である。関西でも東北でも関東でも、全国で使うようである。

「このあいだ」→「こないだ」という、音の変化の仕方は、江戸弁のようでもあるし、東北であっても、関西であってもありうる変化だ。

「こないだ」は東京起源である可能性がかなり高いと思われるが、まだ根拠が見つからない。したがって、今時点では、どこの方言か不明だ。元々の標準語ではなかったが、今となっては間違いなく「共通語」となっている。

ぼくんち

「僕の家へおいでよ」という時に、「ぼくんちにおいでよ」と使う。これは東京の言葉であるようだ。「君の家」を「きみんち」という。

〜きりない

少し年配の人だと「千円しかない」という時に、「千円きりない」というのも東京言葉だ。最近は、あまり聞かなくなった。「はな」という言葉も時々使う。「最初」という意味で「しょっぱな」というのもある。

次へ:「おみおつけ=お味噌汁、遊び心のある東京の言葉


関連記事:
・「箸と茶碗

“東京弁の人を確実に見分ける方法〜アクセントと東京言葉” への2件の返信

  1. 面白く読ませていただきました。東京育ちの、ある程度の年齢を重ねてこられた方だろうと感じました。
    私は方言の研究をしておりますので、できればお目にかかってお話を伺いたいと思いました。
    アクセント辞典の、シガツに尾高型と平板型の二つがある理由が後ろに「の」が付くと平板型になるからという説明をされていますが、
    それは違います。もしそうなら、尾高型の語にすべて平板型も付けなければなりません。「山」も「男」も平板型を付けることになります。
    「の」はその前の「さがり目」をなくすという働きが東京周辺の方言にあります。名古屋のように「東京式」アクセントの方言では「の」も「が」「を」などと同じようにその前の「下がり目」を消しませんので「花の」と「鼻の」が区別できます。
    NHKの発音アクセント辞典に併用形が示してあるのはやはりそういう発音をする場合があるということです。

  2. コメントをいただきありがとうございます。
    専門の研究者の方から直接ご教授賜りたいへん嬉しく思いました。
    今まで無意識に発音していましたが、「の」が「さがり目」をなくす働きが東京周辺の方言にある、とは今まで知りませんでした。なるほど、とても興味深いことです。
    記事本文の方は近いうちに修正したいと思います。

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