日本人よ!大人になれ!

ひとのことを言えた義理ではないが、大人として言っておかなければならない。

今の世の中では、名誉やプライド、尊厳とか矜持などはすっかり影を潜めてしまったのか。大の大人が誰も彼も、オレ俺、ワタシ私、になっている。大人が大人でないのだ。どうなっているのか。いま、大人はどうすれば良いのか。

名誉 vs. 自分最適

「自分だけ最適」が今では当たり前になっている。得をすること、楽しいことがインターネットで検索され、需要に見合うコンテンツがさらに供給される。自分が得をする方法に群がるのは良いが、知らなければ危険にさらされる状況もある。これをただ自己責任として見捨ててしまう風潮もあるようだ。

とにかく楽に生きたいという人が多くなったのも不思議ではない。未来に期待が持てないという人も多くなった。他人の面倒をみる余裕はない。

社会のため、世の中のため、名誉のために何かをするという人は、本当にわずかなになった。命をかけるということがない。これは良い時代になったということの裏返しなのか。しかし日本は本当に良い国なのか。

良い国だという長所もたくさん挙げられるけれども、事実と異なる思い込みもある。日本の電車の時刻はあまり正確ではなくなってきた。労働時間は長い。高齢者と若年者の貧困の問題もある。貧富の格差は年々拡大する。自殺者が多い。学校でも企業でも陰湿ないじめがある。

社会のため、世の中を良くするために、みなさんはどんなことをしていますか?

人の話を聞くこと、そして社交という文化

会話をしている時に、人の話を最後まで聞かない人がいる。これは大変にみっともないことだ。一人で自分の話だけをして楽しい、という様子である。

懇親会やレセプションなど、お酒が入るとついついと日本の飲み会の雰囲気になりがちがだ。すると、勢いのある話慣れた人が多いに喋って、またツッコミで笑いを取るタイプの人が脇で小気味好くツッコむのである。他の多くは聴衆となる。聴衆慣れしている人は、これまた笑いのリアクションが上手である。

場の雰囲気で、自然と観客と聴衆が出来上がる。楽しいけれども、何かが違う。あれ、何だろう? この違和感は一体何なのだろう?

それはみなさんがいつもテレビで見ているバラエティの構図ではないだろうか。勇んで発言して、努力した人の発言がオンエアされる。テレビタレントの世界は紛れもなく競争社会である。タレントや芸人ではなくても、場を盛り上げようというサービス精神なのであろう、テレビの芸人を真似て同じようなことをする。

このような雰囲気になってくると、もはや「多くの人と会話を楽しむ」ということはできない。本来の「社交」からどんどんと遠ざかってしまう。社交というものは、なかなか理解されていない。そもそも社交というもの自体の機会が減っている。仲の良い友達との集まりではなく、様々な世代や異なる業界の人達と会合するという経験ができなくなっているのである。

全員が対等に話者と聞き手になるのが、社交である。イギリス人が得意とされている。発言の一番少ない人が話しやすいように場を作るのである。一人で大声で喋り続けている人がいる。誠に恥ずかしいことである。多いに反省するべきである。私も反省するところである。もちろん日本人だけに限ったことではない。

大人の尊厳

大人は手本を示さなくなった。子供の手本となろうという意識がなくなってしまったのか。正しいことを教えることをせずに、いじめのグループに逆らわないようにと、子供にも教える。

大人が、まずは親が、いじめは悪いことだとはっきり教えるべきである。大人が損か得かを先に教えてしまうと、いじめをなくすことが難しくなる。

そうかと言って、学校で道徳を教科にしたのも気持ちが悪い。教科になると成績を付けるのだ。形式的な善悪で「良い子」を作っても意味がない。

生活の中では、親が「ながらテレビ」「ながらスマホ」を行い、それが子供への手本となってしまう。親がスマホ依存になるのは親の勝手だが、親の悪い見本のために、子供が依存症になる。それでは子供がかわいそうだ。

日本人の多くが、恥を感じなくなったのか。日本の文化の衰退にもつながりかねない。小学校の前の信号を小学生たちが見守る中、赤信号を無視して渡っていく大人がいる。

かつては、大人の体面というものがあった。校長先生が生徒と一緒に給食を食べている時、生徒から「校長先生はご飯を残すの?」と訊かれると、「ううん、よく噛んでゆっくり食べてるんだよ」と応えて、本当は医者から「ご飯の量は減らしてくださいね」なんて言われていても、全部食べてしまうわけだ。

大人の尊厳を守ることは実は重要なことである。自由と平等は大人も子供も一緒だけれど、大人には子供を守る義務があるから、それに伴う責任が生じる。その部分が子供とは異なる。大人が手本を示せるようにしたい。

マナーはきちんと

マナーは、是非きちんとして欲しい。食べるときのマナーは、まず第一を確認して欲しい。

肘はどちらも決してテーブルにはつけない。手首もテーブルには触れない、載せない。咀嚼するときは唇を閉じる。和食では、お茶碗を持つ。洋食では、お皿には決して触らない。食事中は足を組まない、立膝もしない。

お箸は正しく持つ。小さい時からお箸の持ち方は矯正する。親指と箸は直角である。両親の教えを伝えているということになる。その他は当たり前のことだけれど、必ず挨拶をする、帰宅したら手を洗う、人の悪口を言わない、などなど。

人それぞれ、独自の流儀があり、それぞれの宗教や、それぞれの教育方針があり、マナーも一律ではなくなった。多様性への配慮も必要だ。

お箸も食事も食事のマナーも文化なので大切にしたいと思う。まずは自分の家の流儀を決め、それに則って、粛々とこなしていくことである。家の流儀は、一度決めたら守る。それは習慣となって定着する。

小さなことの積み重ねが文化の土台となっていく。大人が大切に守るものを子供は大切だと感じるのであれば、それは次の世代に伝わる。取るのも捨てるのも、最終的には次世代の判断である。大人には良いものを伝える責任がある。変わるべきものもあり、守るべきものもある。

大人としての責任を感じる時

個人的な話で恐縮だが、40代で両親を亡くしてしまうと、それから一気に年を取ってしまう。これをしっかりしないと、あれもしっかりしないと。そんなに気張っているつもりはないのだが、あれもこれもと思ってしまう。もう自分を叱ってくれる人はいない。

そう思って周囲を見ると、同じ50代の世代の人でも親が元気でいると色々と甘えがあるようである。親が生きている間は、社会での立ち位置がやはり何かしら曖昧なようである。大人となり親となっても、やはり責任感が弱いように見える。

人によってタイミングは異なるだろうが、社会の問題は自分たちの責任であると自覚する時が来る。きっかけは様々だ。責任を自覚した時に、本当に大人になるのである。

親が生きている間は、今にして思えば、ふんわりとした安心感があった。親が高年齢になると健康や何かと気になってしまい、親のありがたさを見過してしまいがちだが、いつも強い味方だったことを改めてありがたく思う。

社会参加を意識

政治家が何をしようと平気でいる。「政治は確かに悪いかもしれないよ、でもそれは僕の責任じゃないから」って。「僕がどう思ったって、それで総理大臣が考えを改めるわけじゃないから」となってしまう。

正常性バイアスというのは、災害の時だけではなく、政治家の汚職、役所の隠蔽、企業の違法行為などの事件に接しても同様に働く。「まさかそんなひどいことはやっていないだろう」とつい考えてしまうのだ。普通のサラリーマンは残虐・非道なことをする機会も権限もないから、身近な事として考える事がない。どうしても自分には被害は及ばないだろうと考えてしまうのだ。

官僚が文書を改ざんしても、それを指示したらしい大臣らが何の咎を受けなくても平気でいられる。それは一体どういう感覚なのか。善悪の問題なのか。価値観なのか。あるいは、無力感なのか。どちらかと言えば、自分の力では無理という観念が強くなって、社会へ働きかける力が弱くなっている。

仲間の大人も、疲れていて、弱っていることが多い。大人を勇気付けるのは大変だけれども、やっぱり大人だから、同僚を助けることは必要だ。あなたの周囲にいる、人格は立派だけれど弱っている大人たちを助けることから、まず始めないとならないのかもしれない。

低俗なものに慣れない

今の日本には、インターネットでも、リアル社会においても、国の在り方、社会の進むべき方向などについて、意見交換する場がない。どこもかしこも、娯楽ばかりなのである。娯楽も低俗なセンスのものが溢れている。表現の自由というレベルの話ではない。芸能人の私生活の話とか、根も葉もない噂とかが、増え続けているのである。

別に、低俗に定義はない。皆さんが、低俗と思うものが低俗なのだ。

大人たるもの、低俗センサーを敏感にして欲しい。慣れてしまっていて、相当低俗なものを見てもスルーしてしまう。それこそ、政治家の暴言に対しても慣れてしまっている。「慣れ」とは常に危険だ。

低俗だな、と思いつつも見てしまうこともある。勇気を持って、見ないという選択をするのだ。誰も見ていないから、こっそり、というのはもうインターネットでは出来ないのだ。アクセス数は電子的にカウントされているので、ちらっと見ただけでそのサイトのアクセス数を加算してしまう。低俗なものには、クリックしないことを是非とも徹底されたい。

ジャーナリストを潰すな!

ネットやテレビやラジオ、新聞・雑誌は全部が娯楽。ジャーナリストがいない。あるいはいるけれどもちゃんとした待遇を受けていない。ジャーナリストがジャーナリストとしての仕事ができるようになっていない。

原因か結果か分からないが、マスコミが国や政治家の勝手な行いを監視する役目を果たしていない。国や権力を持った人々の宣伝機関になっているのではないか。大人がいないので政治がどうだろうと関心が無い。関心があるのは、エンタメとゴシップ、アイドルとゲーム、などなど。

テレビでは視聴率で判断される。テレビの視聴率はものすごく大雑把で、オンかオフかしかない。しかし、ネットの視聴率の分析はもっと詳細かつ巧妙で、どのサイトをいつどれだけ見たのか、サンプルではなく世界のPC、スマホの全数を把握することができる。

今では、クリックはリアルタイムの信任投票なのだ。それを意識しないで、ただ娯楽のつもりでネットを見ていると、ますますジャーナリズムを縮小させることにつながる。買ったり売ったりしなくても、インターネットはそれ自体が莫大なお金を動かす広告メディアだ。クリック一つでお金の動きを操作していることになる。

そんな中で日本では、政権政党に批判的な報道をしたからと言って、メインキャスターが降ろされてしまうテレビ局とは一体いかがなものか。日本で一番大きな組織がこのような有様では、他の民放が率先して自主規制して忖度報道になってしまうのも仕方がないのか。嘆かわしいというか、心が痛む。

ジャーナリストが本来の仕事をできるようにしたい。そのためにもジャーナリストを応援していきたい。

社会は自然には良くならない、苦労している人がいる

世の中は自然と良くなっていくという楽観論があり、大人もそういう発言をすることがある。それは自由だ。100年単位で見ればも世界は良くなった。人権は向上しただろう。

でもそれは自然にそうなったわけではない。戦って勝ち取って来たものだ。ただ楽しいことをしていけばそれだけでいいんじゃない、ということはない。そのような「おいしい生活」的な発言は無責任であり、大人の言葉とは思えない。

+の勢力と-の勢力があって、いったりきたりしている。活動をしている人たちがいるからこそ均衡が保てているのである。そういう世の中のことも大人であればちゃんと勉強してから言って欲しい。歴史を振り返れば、社会は放置すれば悪化するという教訓を思い起こそう。

子供扱いされて平気なのか?

ショッピングセンターのエスカレータで流れているエンドレスの音声があるが、全く意味がない。アナウンスを聞いて理解できる大人は元から知っている。

本当に注意が必要な人はそもそもこのようなアナウンスを聞いていない。すると、知っている人だけに騒音を流し続けることになる。これは大人のすることではない。

子供扱いされても誰も怒らないのもいけないと思う。

公園で看板にたくさんの禁止事項が列挙されているのも、恥ずかしいことだ。子供扱いされているわけだ。子供を大人が指導できていないということである。もっと言えば大人をもコントロールできていないのかもしれない。それとは逆に、公園の管理者側が、問題が起きた時に責任を取りたくないという意図もある。もっと自由でも良いと思うのだが。

自由に考える、とは?

自由に考えろ、というのは無責任になれというのとは違う。無責任で良いというような本が多数出版されそこそこ売れているようである。この手の本はどれもこれも、すべて大衆迎合だ。無責任な大人たちに、それでいいんだよと勇気付けてやった挙句に、お金を稼ごうとは不遜極まりない

好きなことだけやれば良いというのは、ある種のメタファーとしては成り立つかもしれないが、文字通りには有りえない。大人には責任がある。責任を取らなくて得をすると考えるのは子供である。教育が必要なんだなと思う。

自由に考えるというのは、あくまでもマナーや社会のルールを考慮した上で行うことだ。不平等や人権侵害がないかどうか、チェックしていくことが重要になる。これを役所がやるのでは不十分で、また個人でできるものでもない。そこにはやはりジャーナリストが必要となる。既得権益を是とした固定観念に陥らないように、自由に考えていく必要がある。

セクハラやパワハラが横行!

もう何年もテレビは見ていない。しかし、司会者が2人以上いる番組で男がメインで、若い女性がアシスタントだったりすると、見ていて恥ずかしくなる。男尊女卑思想の人が作った番組に見えてしまう。

18禁的な性的な雑誌が、誰の目にも触れるコンビニの雑誌コーナーにあるのはどうなのか。言論の自由とかいう問題ではない。これは社会が健全な証とは思えない。ネットの情報も無法地帯になっており、これらの陳列をやめても焼け石に水と諦めてしまうのか。

日本人は欧米の感覚で見ると若く見えるので、こんなに小さな子供に水着を着せて・・・と思われる。ヨーロッパでは小児ポルノを排斥しようとしているのに、日本のこの寛容さは大変奇妙であり強い違和感がある。

社会の責任は、大人の自覚だ!

社会の責任ということがあるけれど、そもそも「社会」というものの実態は何なのか。それは実は明確なことなのだと思う。堅苦しく言うと、大人たちの大人の良識をベースにして、民主主義によって導かれた価値判断である。

今、大人たちが揺らいでいるので、大人の考え方が安定的ではなくなってきた。大人の判断というのは、綺麗事でも教科書的な正解のようなものとは本質的に異なるものだ。

若者の未熟さに責任転嫁しようとする大人を信用することもできない。なぜなら、若者を育てる責任は大人にあって、十分に育てられなかった責任があるのである。大人に魅力がないために大人になりなくないというのも、まさに大人の責任である。

こういう話をすると、それは前の世代の大人であって、自分たちの世代の大人の責任ではないという人がいる。馬鹿なことを言うものでは無い。社会を担う責任を持った人が大人であって、それには今も昔もない。今ある社会の問題は、すべからく今の時代を生きている大人の責任である。

当たり前の「人道」を

乳児を放置して殺したり、子供を虐待して殺したりするような事件が多い。近所の人がマスコミのインタビューに対して「ものすごい声で鳴いてましたね」などと普通に返答していたのを聞いて愕然とした。

これで子供が殺されて、その人は助けられたかもしれないのに、なぜ通報しないのか。命優先とは考えないのか。所詮は他人ごとなのか。

知り合いには親切で、知らない人には意地悪だというのは日本人に対する評である。電車に乗ると、知り合いには席を譲り合うのに、そうでなければ我先に取ろうとする。とても恥ずかしいことである。それは、本来、逆ではないのか。

世界の中での日本

戦うことは悪いことか? 戦い自体が悪いわけじゃない。何に対して戦おうとしているかが、良し悪しを決める。善に対して戦うのか、悪に対して戦うのか。

日本には大きな課題がある。高齢化に伴う、医療と年金を含めた社会福祉政策の問題。高齢化に伴う、雇用と労働力の問題。アメリカの軍事基地や地位協定、日本とアメリカとの不平等な隷属関係の問題。ロシア、中国、韓国、北朝鮮、アメリカとの微妙なパワーバランスの問題。そして、日本のマスコミが全く機能していないという問題(国際情勢が正しく報道されていないという問題)。

アメリカも中国もロシアも、いわゆる大国は、経済摩擦であっても、明らかに嫌がらせである関税をかけたり、軍事的戦略でプレッシャーをかけたりする。19世紀から全く進歩がない。しかも、19世紀のセンスは、世界ではまだバリバリの現役だ。

100年も戦争で負けていない国は、戦争に対する態度が100年前のままである。前世紀の考え方であってもいまだに書き換えられていない。日本の中学高校では、これらの大国が19世紀の野蛮な手法を今も使って活動していることをちゃんと歴史で教えてはいない。

現実を直視すること

世界にはテロがある。テロを支援する国家もある。他国の領土を軍事で犯そうとする国は今もたくさんある。そういうことは大人として知っておいたほうが良い。日本のすぐ隣の大国は、他国を侵略することを倫理的に悪いこととして定義してはいない。アメリカも隣国メキシコやロシアを侵略して領土化してきた歴史がある。似た考え方だ。独立した大国ということなのだ。全く思いやられることである。

「結局、世界は良い方向に向かって行くんじゃないの?」という日和見主義は無知から来るのだろうと思う。良くなったのはあくまで結果論であって、そのために活動して生きてきた人のことを知らないだけだ。無知を宣伝しているようで、恥ずかしい。

自由、民主主義、人権というものを善とする考え方は大いに賛同できる。しかし、世界の国々の全てがこれらを基本に成り立っているわけではない。日本人はもっと世界を知る必要があるだろう。そして、世界から信頼され尊敬される国を目指すべきだと思う。

立ち上がって、行動しよう、声を上げよう。日本人の大人たちよ、大人になれ!

2 Replies to “日本人よ!大人になれ!”

  1. 本当のその通りですね。
    子供が大人になれないという問題もその元を辿ればではなくて、大人が大人になり切れていないことが問題なのだと思いました。
    大人の格好良さとか、キレの良さとかを、若者に見せつけることができない。責任感を持たずにいる幼稚な大人が社会のためになるわけもないです。
    子供から反感を買いたくないという逃げみたいなこともあるかなと思います。叱らないで通り過ぎてしまうのも、傍観者的で無責任です。
    大人になれ、大いに賛成です。

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