日本国憲法についての大きな誤解

日本国憲法についてはいろいろと誤解が多い。

私も比較的最近まで誤解していたのであるが、それは親の世代が誤解していたり、テレビやラジオも必ずしも正確に伝えていなかったり、学校ではあまり教えていない、などにより、誤解が拡大している。

そこで、日本国憲法についてスッキリとしたい。クリアな見解を持ちたいというのが、この記事の目的である。憲法とは本来クリアであるべきだものだ。

日本国憲法は崇高で美しい理念であるということを日本人に植え付けたのは、誰なのか。アメリカが原案を作成して、日本からの修正案が協議されて、最終的に合意し、日本国憲法ができたという。

憲法解釈の変更は大きな問題

日本ではかつて、憲法で禁止されているはずの軍隊を持てるように解釈を変え、自衛隊を創設した。アメリカが日本に二度と戦争をさせないように軍備の放棄を書き込んだわけだが、アメリカもアジアに対する武力牽制にお金がかかりすぎるので、日本にも人とお金を出させようということだ。

憲法の解釈を変えることで、大きな転換を実行してしまう悪弊が繰り返されるようでは、憲法の意味がないのではないか。「軍隊を持たない」と書いたら持たないのであって、持つのだったら「軍隊を持つ」と書く必要がある。
→「日本国憲法第9条について(2)

日本の代表者は誰なのか?

日本の元首は誰か? 現代では、まあ当たり前な感覚として、総理大臣だと思われると思う。その通りで、それ以外の元首はありえない。でも、1945年にはいろいろと混乱することがあった。

主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移ったのだと日本国憲法に書いてある。これは旧体制からの変化を強調した言葉であるが、では実際には、今、誰が主権を持っているのか?

天皇は象徴というが、象徴とは何か? 天皇は国事のみ、それは内閣の承認で、というからには内閣が天皇の上にいるということであろうか。その通り。

国会が指名した総理を天皇が任命する。やはり元首は内閣総理大臣なのか。どう考えてもそうなる。

国民主権とは?

国民主権とは民主主義の基本のことだとすれば、欧米の国々はどうなっているのか。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイスなどは一体どうなっているのか?

国民主権とは、主権が国民にあり、政治権力の根源もその責任も国民にあるという思想のことである。主権在民と言ったり、人民主権とも言う。英語では、popular sovereigntyという。歴史的にも多義的で、フランス、アメリカ、イギリスで採用されているというが、厳密な意味で共通の定義のようなものはない。また、各国における国民主権という考え方の中では、「国民」「人民」「市民」などの用語が使われており、意味が異なっている。

国民(英:nation)は集合体としての国民を表し、人民(英:people)は漠然とその国の人々を意味する。市民(英:citizen)は、民間人という意味だ。欧米の憲法概念ではこれらの用語が区別されて使用されているが、厳密な定義があるのかよく分からない。

1945年以降、貴族という制度はなくなったけれども、大きな経済力を持ち、政治への影響力を持った「層」は、今でも存在する。この特定の「層」の中から総理大臣が出てくる率が圧倒的に高い。だから国民主権であることは間違いはないが、それは自由で平等であるということではない。

自由、平等、民主というのは、より良い国家のあり方である。そこを目指してまずは国民主権を標榜するということである。

国際法上の自衛権との関係は?

国際法で認められている自衛権というものがあって、これは各国が敢えて主張しなくても、自ずと認められる基本的人権ならぬ、基本的な国家の権利だ。

日本も国連に加盟したので、いまでは憲法で書かなくても自衛権を持っていると対外的に主張することに問題はない。

憲法を公布した時点では国連に加盟していなかったので、自衛権のみを持つということを憲法9条で明確に表現した。

占領後の返還

1946年に憲法が公布、1952年に日本はアメリカの占領から外れた。

1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効により、日本に対する占領が終了した。日本は7年間も占領されていた。ポツダム宣言には、「平和的傾向の責任ある政府」や「民主主義的な政府」等様々の条件が記載され、それらの条件が「達成された場合に占領軍は撤退するべきである」とされている。

この時に本来はアメリカ軍も撤退すべきだったのだが、この時に日米安全保障条約ができて、アメリカ軍が日本にずっと駐留できることになった。

奄美(1953年12月25日)、小笠原(1968年6月26日)、沖縄(1972年5月15日)(こちらはもっと後となった、でも他にもまだある。硫黄島は?)

日本国憲法、前文とか

前文の結び「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」は良い。

死刑について:
「第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
死刑は残虐でないのか? 1948年(昭和23年)最高裁判決で残虐でないとした。以降、日本では死刑は残虐ではないということになった。

文民の規定:
「第66条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

なぜ「文民」という定義が必要だったのか。軍隊がないのならば、文民を定義する必要がないはずだが。全体でみると少し一貫性にブレがあるところである。

元首の規定とアメリカの思惑・意向

国家における、元首の規定というのは、その国を特徴づけるものである。規定がある国も無い国もある。

まっさらなところから憲法で規定するわけだから、元首がいるのか、いないのか、それは国民主権とは言っても海外の国賓を誰がもてなすことが最高の礼となるのか。言葉では言わないけれど、それはやはり天皇なのである。海外から元首が日本に来た時に、宮中晩餐会が催されると最高の待遇と受け取られる。これは海外からすると明確なことであるが、日本人だけは暗黙の了解と思っている。

日本の敗戦直後の状況では、アメリカが明記しない方が得策と判断したということだろうが、天皇が元首だとは憲法に書かなかった。でも天皇が日本の元首であるとは言えないが、今では日本で唯一の貴族で、国費で生活している一家なのである。国家の「象徴」とは、本当に上手い言葉を考え出したものだ。でもこれはやはりちょっとトリッキーな感じがする

国の自衛権

国家の自衛権は個別的、集団的という区別なく、国際法で認められている。

正当防衛の場合、日本の法律では、個別的と集団的を分けてはいない。子供の命を守るために親が殺人鬼に対処するのは認められている。国同士だと親子関係はないが同盟などがそれにあたる。

刑法上、個別的か集団的かは全く区別されない。刑法36条1項には「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は罰しない」。子供の権利イコール命を守るのは、正当防衛権の中で個別的ではなく集団的な防衛権を行使したことになるという考え方はわかりやすい。

国家レベルでも、個別的のみならず集団的自衛権が、国際法で認められている。

国連憲章

国連憲章51条には「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない…」。

国連に加盟しているということは、すなわち、自衛権は、憲法に規定がなくても自然と存在する。自国の国民や領土を守る自衛権を持たない国はない。

個別的と集団的という区別は実はあまり大きな意味はなくて、自衛を目的とした武力行使は国の当然の権利だということだ。

集団的自衛権

集団的自衛権を国際法上保有している事実は当然日本の政府も知っており、その権利があることを否定したことはないとされる。

にもかかわらず、集団的自衛権の「行使」は憲法上禁止と解釈されてきた。権利があって、憲法上、行使が許されないという解釈は、全く理解できない。おかしいのでは?

こういうところが日本っぽくてわかりにくいのだ。

憲法第9条

このように考えてくると憲法第9条は国連憲章と少しニュアンスが異なっている。

アメリカが日本を叩き潰して、必要性の全くなかった原子爆弾を広島と長崎に投下して、民間人を大量虐殺した。

にもかかわらず、日本がアメリカに二度と歯向かわないように、アメリカは正しいということを刷り込みながら、思想的に、政治的に入念な準備を施して、それを憲法にも呪文として織り込んだわけである。それを有難がっている日本人は滑稽だという海外からの意見も聞いたことがある。

日本では戦争について、当たり前のように教科書で教えられて説明されてきたことがある。すなわち、「第二次世界大戦では、アメリカは正しくて、日本は悪いことをして、戦争を引き起こしたので、責任を取らなければいけない」と。アメリカは第二次世界大戦では、多くの民間人の虐殺を行った。広島と長崎への原爆投下もそれにあたる。

世界では必ずしもそうは考えていないということを知った。一部の国や地域では、日本人はもっと悪いと思っている人々がいる。その一方、日本人は被害者であると考えている人々もいる。

「日本人が悪い」と、すべての日本人が習ってきたのであるが、この善悪については真実を見極める根拠が足りない。国内の出来事であったら日本の裁判で争って賠償請求するということになるが、国家間ではそのような裁判はない。交渉によって決着させなければいけない。

それはもうすでに国家間の条約で決着しているということになっており、戦勝国の一方的な決定でもあったにしても、今もその関係は大きく変わることがない。

戦後70年以上を経た現代では、少し違った見解も出てきた。もっと冷静に考えてみる必要があるのではないか。

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