日本国憲法について理解したい

日本国憲法については分からないことがたくさんある。誤解も多いようだ。私も比較的最近まで誤解していたことがいろいろとあった。

もちろん、皆が日本国憲法を正しく理解しているわけではない。前の世代が誤解していたり、テレビやラジオが正確に伝えていなかったり、学校であまり教えてこなかった、などの要因がある。

そこで、日本国憲法についてスッキリとしたい。クリアな見解を持ちたいというのが、この記事の目的である。憲法とは本来クリアであるべきだものだ。

まずイメージから・・・

日本国憲法は崇高で美しい理念であると、教えられてきた。というのは多くの人が賛同してもらえるのではないだろうか。

では、崇高で美しい理念であるというイメージを日本人に植え付けたのは、誰なのか。アメリカが原案を作成して、日本が修正案を提出して、たくさんの協議があり、最終的に合意し、日本国憲法ができたという。ということになっているが、この経緯もあまり明確には解説されてはこなかった。

日本は軍隊を持たない、戦争をしないというコンセプト

日本国憲法では軍隊を持たないことになっている。そして戦争をしないと宣言している。これはとても素晴らしいことだ。

とはいうものの、日本は1954年に、日本国憲法の解釈を変え自衛隊を創設した。アメリカが日本に二度と戦争をさせないように軍備の放棄を書き込んだといわれるが、アメリカにとってはアジアに対する武力牽制にお金がかかりすぎるので、日本にも人とお金を供出させる方針に転換した。

憲法の解釈を変えることで、大きな転換を実行してしまうというのでは、憲法の意味がないのではないか。「軍隊を持たない」と書いたら持つべきではないのであって、持つのだったら「軍隊を持つ」と書く必要があるのではないか。

言葉の解釈が、原文の意味を越えてしまうようでは、憲法自体があいまいになってしまう。

誰のための憲法なのか?

ここで憲法とは、誰のためのものなのかを考えてみる。基本的人権を保障するというのは、国民のための利益を訴えているのである。国が勝手な法律を作って、国民を奴隷のように使役したり、苦しい生活を強要したりすることが無いようにするためのものなのだ。

つまり、国が国民をないがしろにして勝手をしないよう抑制するための基盤だと言うことだ。

時々、国会答弁などで、憲法は刑法や民法の基礎なのですなどと誤ったことを言ってしまい、弁護士出身の議員に反論されているような場面も見たことがある。

刑法やその他の法律を政治家が作る時に、国民を守るために、その対面にある守りなのだ。

主権は「天皇」から「国民」へ移った・・とは?

主権という言葉は、元首という言葉を連想させる。

日本の元首は誰か? 現代では、総理大臣と考えるのが順当だろうと思われる。現実的に、それ以外の元首はない。天皇は王であっても元首ではない。しかし、1945年にはいろいろと混乱することがあったようだ。

主権(統治権)が「天皇」から「国民」へ移ったのだと日本国憲法に書いてある。これは旧体制からの変化を強調した言葉であるが、では実際には、今、誰が主権を持っているのか?

天皇は象徴というが、象徴とは何か? 天皇は国事のみ、それは内閣の承認で、というからには内閣が天皇の上にいるということであろうか。その通り。

国会が指名した総理を天皇が任命する。やはり元首は内閣総理大臣なのか。どう考えてもそうなる。

国民主権とは?

国民主権とは民主主義の基本のことだとすれば、欧米の国々はどうなっているのか。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スイスなどは一体どうなっているのか?

国民主権とは、主権が国民にあり、政治権力の根源もその責任も国民にあるという思想のことである。主権在民と言ったり、人民主権とも言う。英語では、popular sovereigntyという。歴史的にも多義的で、フランス、アメリカ、イギリスで採用されているというが、厳密な意味で共通の定義のようなものはない。また、各国における国民主権という考え方の中では、「国民」「人民」「市民」などの用語が使われており、意味が少しずつ異なっている。

英語では、国民(英:nation)は集合体としての国民を表し、人民(英:people)は漠然とその国の人々を意味する。市民(英:citizen)は、民間人という意味だ。欧米の憲法概念ではこれらの用語が区別されて使用されているが、いまいち厳密な定義はどうなのか? と考えるとはっきりしない。

1945年以降、日本では貴族という制度はなくなったけれども、大きな経済力を持ち、政治への影響力を持った「層」は、今でも存在する。この特定の「層」の中からほぼすべての総理大臣が出てくる。上流という社会層は今も厳然と存在する。

国民主権であることに間違いはないが、完全に自由で平等であるかと言えば、実際にはそうはいかない。自由、平等、民主というのは、より良い国家のあり方である。そこを目指してまずは国民主権を標榜するということである。

軍備を持つことと自衛することはどう違うのか?

国際法では、国家には自衛権が認められている。これは各国が敢えて主張しなくても、自ずと備わっているとされる権利である。人であれば、基本的人権に相当する。国際法においては、国と認められた地域は、自動的に自衛する権利を得る、という考え方だ。

日本も国連に加盟したので、いまでは憲法で書かなくても自衛権を持っていると対外的に主張することに問題はない。

憲法を公布した時点では国連に加盟していなかったので、自衛権のみを持つということを憲法9条で明確に表現した。

占領後の返還

1946年に憲法が公布された。戦争終結から7年後の1952年に、日本はアメリカの占領から外れた。

1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約の発効により、日本に対する占領が終了した。日本は約7年間占領されていた。ポツダム宣言には、「平和的傾向の責任ある政府」や「民主主義的な政府」等様々の条件が記載され、それらの条件が「達成された場合に占領軍は撤退するべきである」とされている。

昭和天皇の誕生日が4月29日で、その前日に独立ができたというのは、何かドラマがあったようである。詳細は不明であるが、日米の関係者がそのように調整したことで実現したということだ。

日本が独立する時に、本来はアメリカ軍も撤退すべきだったと思われるが、撤退せずに日米安全保障条約ができて、アメリカ軍が日本にずっと駐留できることになった。

奄美(1953年12月25日)、小笠原(1968年6月26日)、沖縄(1972年5月15日)(こちらはもっと後となった、でも他にもまだある。硫黄島は?)

日本国憲法 前文

前文の結び「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」はなかなか良い。

死刑について:
「第36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」
死刑は残虐でないのか? 1948年(昭和23年)最高裁判決で残虐でないとした。以降、日本では死刑は残虐ではないということになった。(この条項だけは「絶対に」と強調されている。「これを禁ずる」だけで良かったのに、何かしらの思いが入ったのかもしれない。)

文民の規定:
「第66条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」

なぜ「文民」という定義が必要だったのか。軍隊がないのならば、文民を定義する必要がないはずだが。全体でみると少し一貫性にブレがあるところである。

憲法第9条

憲法第9条は、他国に類を見ない独特のものとなっていることは知っている。「武力による威嚇や武力の行使(戦争)を放棄する」「戦力を保持しない」「国の交戦権を認めない」と書かれている。

日本国憲法の第1章が「天皇」で、1条から8条まである。第2章が「戦争の放棄」であり、ここは第9条のみである。第3章が「国民の権利及び義務」となっており、ここでは第10条から40条までこまごまと定められている。全体では103条まである。

第9条は短いけれども、第1章の天皇の次に位置する条文である。日本国憲法の中では重要な位置にある。

この憲法第9条は、日本の平和主義への強い宣言であるが、海外にはあまり知られていない。というよりも、世界の軍事力をコストベースでみると、日本は世界7位(2023年)なのである。軍事費が、世界7位である国が軍隊を持たないとは思わない。

日本の軍事費はアメリカ駐留軍を支えるためにも支出されているので、単独で日本が軍事費に比例して強大であるとは限らない。憲法第9条があるから戦争が起こらないわけではないので、戦争を起こさない、戦争を起こされないことを考えて行かないといけない。

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