日本国憲法第9条について(1)〜平和憲法としての日本国憲法

日本国憲法第9条は、日本の憲法の条文の一部である。

ポイントは、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」の3要素である。改めて基本を確認する。

ちょっとその前に疑問が・・・

アメリカ軍による日本人の大量虐殺! 責任はどこへ消えた?

そもそも日本国の憲法の条文は誰が作ったのかを思い起こしてみれば、それはアメリカであった。アメリカは日本を戦争をさせない国にしたかった。それはアメリカに歯向かってこないようにしたいからだ。

アメリカは、日本の都市の上空から住宅地に向けて爆弾攻撃を行って、多くの非戦闘員(民間人)を殺傷することを狙った、大規模な空爆を行った。日本の民間の商船を多数撃沈し、物資の輸入を困窮させる攻撃も行われた。

アメリカは戦後処理を完全にアメリカ主導で進められるようにするために、日本人から賠償を求められないようにすること、日本が反撃をできないようにすることを考えた。戦争責任は日本にあるとして、天皇を活用して日本人にアピールした。

1945年9月2日に受諾したポツダム宣言の「無条件降伏」の一節が大きな力を持っている。また、日本が課された賠償を償うための生産手段の保有と経済復興も認められた。

日本人は、戦争が間違いだったことを認め、責任はすべて戦争を始めた日本にあるという筋書きに書き換わった。

このようにして、戦争放棄だけでなく、アメリカの非人道的行為に対して抗議をすることも一切放棄してしまったのだ。

憲法第9条があるから70年以上戦争を回避できたのか

日本以外に戦争放棄を憲法にうたった国はない。他の国もそんなことは信じていないだろうと思う。誰かが「私は決して嘘をつきません」と言ったところで簡単には信じられない。

「戦争しません」と日本の憲法が決めたところで、世界はそんなに簡単に日本が戦争をしないとは信じてはいない。

そもそも日本の憲法第9条は世界でほとんど知られていない。イギリスには文字で書かれた憲法はない。じゃあ、中国、韓国、ロシア、フランス、ドイツ、イタリアは?

これは単純なことなのだ。侵略や暴力はやられたらやり返すのか? ということで、平和主義や人道的見地で言えば、やり返してはいけないのだが、正義のためにやり返すことと教える国もある。倫理は一定ではない。善悪の観念は様々だ。

日本が今まで戦争をしてこなかったのは、アメリカの属国であることに加えて、日本が何よりも裕福になったからだ。その経済的な存在感が力を持っている。アメリカや国連に資金を提供する役割を担うことになった。

朝鮮戦争でもベトナムでも日本はアメリカ軍に国土を提供し、巨額の資金も提供しているのだから、戦争に加担していることになるわけだ。

平和憲法は平和を求めるスローガンである

戦争の抑止力に日本の憲法が何らかの成果を上げたのか? と言えば、それは今のところは全くなかったと思っている。日本が「戦争はもうしません」と宣言しているので、かつて日本に占領された国々に対して安心感を与える効果はかろうじてあるだろうか。でもその程度の言葉では信頼はされないだろうと思う。

国際的な取り決めを無視して、他国の領海内に無断で基地を作ってしまうような国が、他国の(つまり日本の)言葉を信じるわけがない。

当たり前だけど、平和憲法に戦争の抑止力があれば、他の国もやるはずだが、果たして効果はあるのだろうか。本当に侵略された時に、専守防衛だけで国を守れるのだろうか。

次のページへ続く:「日本国憲法第9条について(2)〜自衛隊と集団的自衛権

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください