世界で最初のピアノは?イタリアのバルトロメオ・クリストフォリが発明

世界で最初のピアノというのはイタリアのバルトロメオ・クリストフォリが作ったもので、1700年頃と言われている。そんなに前だったのか、と思う人も多いだろう。私の視点で最初のピアノについて書いてみる。

なぜだか分からないが、J.S.バッハ(1685年-1750年)の時代にはピアノはなく、モーツァルト(1756年-1791年)の時代になってようやくピアノが使われるようになったと、何となく思っていた。1970年代の頃に音楽の時間にそのように習ったのかもしれない。でもこれは正しくはなかった。

ピアノはいつできたのか?

このピアノの原型だった楽器、生まれたばかりのピアノは、この時代にはまだ「チェンバロ」という名前だった。

クリストフォリがチェンバロとクラヴィコードを合体改良発明して作った、生まれたてのピアノは、1711年にフランチェスコ・スキピオーネによるヴェネツィアで書かれた論文で有名になったという。

アクションの構造も図解されていた。これが広まって、ドイツのジルバーマンが製作に乗り出して、改良することになった。

現存するクリストフォリのピアノは3台あって、それぞれ1720年、1722年、1726年の製作である。1711年には彼のピアノが3台、メディチ家からローマやフィレンツェに売られたことがあるらしいので、その時期にはもうピアノは完成していたのだろう。

彼は俸給でメディチ家に仕えており、そこで楽器を雇い主に向けて製作する。メディチ家はそれを内部で使用するわけだが、時には外にも販売するという感じだ。やがて、メディチ家が衰退すると、職人たちは独立して自分たちで販売するようになる。

1720年のピアノは、ニューヨーク・メトリポリンタン美術館に所蔵されている。ケースが短く改造されており、響板も1930年代の修復時のものが取り付けられており、本来の状態がよく分からない。1722年のピアノはローマ・イタリア国立楽器博物館に、1726年のはライプツィヒ大学楽器博物館にある。

後者の二つは、どちらも音域が4オクターブの音域(C-C)で「ウナ・コルダ」ストップが付いているのが、大変興味深い。

1722年製のクリストフォリのピアノ

バッハとピアノの関係は?

バッハが弾いていた鍵盤楽器は、オルガンとチェンバロだけではなく、ピアノを弾いていたこともあったのだ。僕が子供の頃に「もしバッハの時代にピアノがあったらどんな曲を作っただろう」などという言葉を聞いた記憶がある。当時(1970年代)の常識として、バッハの時代にはピアノがなかったということだった。僕も当然そう思い込んでいた。

クリストフォリが作成した画期的な、現代でいうところの「ピアノ」をジルバーマンがさらに改良をして、J.S.バッハに見せたところ、当初はバッハはあまり感心しなかったようで、いくつかの問題点を指摘した。改良したジルバーマンピアノに対してはJ.S.バッハは、かなりの高評価だったという。

以前には、バッハはあまり新しいピアノには感心しなかったと言われていた。直接J.S.バッハの言葉で伝えられたのではなくて、C.Ph.E.バッハの意見が影響していたのかもしれない。

さて、当時は「強弱のつけられるチェンバロ」(イタリア語では、clavicembalo col piano e forte クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ)と言われた。「弱い音も強い音も出せるクラヴィコード風のチェンバロ」という意味である。普通のチェンバロではないというニュアンスがある。ちょっと新しいチェンバロということだ。

クラヴィコードは強弱が出せるがしっかりした大きな音が出ない。チェンバロははっきりした強い音が出るが、強弱の自由な加減ができない。これを解決するのは、ごく簡単に言えば、クラヴィコードのハンマーを改良して、チェンバロの立派な筐体に合体させることであった。そしてクラヴィチェンバロclavicembaloと名付けたわけである。

しかし、これが後の時代にいろいろと誤解を生むことになる。

バッハがピアノを普及させたのか?

C.Ph.E.バッハが仕えていたフリードリヒ大王の宮廷にジルバーマンのピアノが何台も納入され、大王に J.S.バッハが大王の提示した主題で演奏することになったのが、音楽の捧げ物である。この時にJ.S.バッハは、ピアノで演奏した。かなりの熱の入った売り込み方であるように思う。意外な印象である。

チェンバロが、ピアノ・フォルテになり、音色が改良されていく。モーツァルトの頃にはもうピアノは立派な楽器になっていた。ただし、まだ鉄骨は入っていないのである。今の時代のピアノとは明らかに異なるので、ピアノ・フォルテとも言って区別する。

モーツァルトの時代は?

モーツァルトも幼少期から音楽活動の初期までは、よくチェンバロを弾いていたようだ。貴族の館では新しいものをすぐに取り入れないこともよくあっただろう。ピアノは、まだ場所によっては設定されていないところも多々あったようで、どこにでもあるようなものではなかった。

ドイツのアウグスブルクに行ったことがある。アウグスブルクにはモーツァルトのお父さんのレオポルトの家があって、モーツァルトハウスとして今も残っている。そこにあったピアノの形はチェンバロによく似ている。細くて長いチェンバロの形状がそこにある。足ペダルはなくて、鉄骨も入っていない。チェンバロと同じくらいの軽さと推測すると、おそらく45kgくらいであろう。ヨハン・アンドレアス・シュタインの作である。ピアノフォルテと言う方が正しい。

ちょうどここを訪れた時に撮ったのが次の写真で、ぐるりと館内を回って来たら今度は調律を始めていた。ハンマーがフェルトではないので、少し金属的な音がする。弦も細い。しかし、チェンバロとは全く発音方法が異なるので、チェンバロとは全く違う。音を聞いた第一印象は、やはりピアノである。

その時は実はあまり知識がなくて、大切にされてきた楽器なんだなあと、何気なく思っていた。しかし、モーツァルトが活躍した1780年前後の、まさにその当時の楽器がきちんとメンテナンスされて、現役でいるというのはすごいことで、とても心が温まることだ。

レオポルト・モーツァルトの家に展示のピアノ(ドイツ、アウグスブルク、モーツァルトハウス)komoriss撮影

ああ、モーツァルトが亡くなってから20年も経たずにショパンが生まれてくるのだ。この時代のことを想像するだけで、何とも言えない甘酸っぱい感覚が湧き上がってくる。ピアノ音楽の世界が文字通り世界に向けて花開いていく時代である。


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