箸と茶碗

日本人が当たり前と思っている習慣が、実は一般的では無かったという経験は時々あるもので、日常的であればあるほど気付く事が難しい。

箸という文化

箸を使う国はアジアにはいくつかあり、日本以外では、中国、台湾、韓国、北朝鮮、シンガポール、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、モンゴルなどで使われている。

タイではフォークやスプーンを使うが、麺類を食べるときは箸を使う。他の国でもそのような使い分けがあるようだ。

箸は実に偉大な文化であり、すこぶる洗練されている。二本の棒を片手で持つという、高度な食器でもある。まあそこまでは、大抵の人が知っている。しかし、家庭の中で一人一人が自分専用の箸を持っているというのは、アジアの中でも日本と韓国くらいである。

中国や韓国の箸

中華料理屋に行くと先が細くなっていない箸がざらざらっと並べられる。上下の区別が無いものもある。あれはレストランだから皆同じになっているのかというとそうではなくて、家庭でもそういう習慣になっている。

中国の箸は、日本の箸よりも長い。長いと遠くのお皿にも手が伸ばせる。また箸の置き方も異なる。日本では箸先を左にして水平に置くけれども、中国では箸先を奥にして縦に置く。

韓国の箸は、金属製が一般的だ。フォークとスプーンと箸を並べても同じ材質となるので、統一性がある。古くは、銀製の箸を使うと毒を検知できるので、宮廷の毒味係が金属の箸を使ったことが始まりらしい。

金属の箸は、耐久性が良いし、浸み込んだり腐食したりせず衛生的である。焼肉で焼けた炭に近付けても焦げることがない。キムチを食べて箸に赤く染み込むようなこともない。そういう便利さもある。

日本の箸

日本の箸が先が細くなっているのは、骨の付いた魚料理を食べることが多い日本の食生活の中で、魚の骨を取りやすいよう変化したものとされている。

お正月に使う祝箸は両端が細くなっている。両端が細くなっているのは、片側を取り箸にするためではなく、片側は神様と共に食するためであるので、片側だけを使う。お正月には神様が家にやって来るのである。

また割り箸というのも、日本の箸文化の特徴である。元は自分で割って作るものだったからで、基本的には使い捨てである。

3世紀の魏志倭人伝では、日本人は手で食べていると記されていた。平城京(710〜784年)の内裏の一角からは箸がたくさん見つかった。作りが荒く、中国の文化をそのまま持ち込んだのではなく、使い捨てであったと考えられている。長岡京(784〜794年)には、市街地の左京の溝から大量に箸が見つかったそうで、この時期には宮廷だけでなく民間にも広まったとみられる。

マイ箸=自分の箸

日本では、茶碗と箸は多くの家では各人専用のものがあり、食後の湯飲みも専用になっている家庭も多いだろう。ところが面白いのは西洋から来た食器具に関しては欧米流である。ナイフとフォークにパパのナイフもママのナイフも無い。カレーを食べる皿はみな同じで、ハンバーグを突き刺すフォークもみな同じである。

では日本起源の食器は各人に専用に割り当てられているかというと必ずしもそうなってはいない。お椀は揃いの椀を使い、焼き魚を盛り付ける皿もその他の料理を盛る皿も大抵は共通のものを使うのが普通だ。

一人ずつそれぞれ異なる皿に盛るということも無いとは言えないが、その場合も必ずしも人と皿とは固定的に結びついてはいない。要するに、箸と茶碗が飛び抜けて特殊なのであって、家庭の各構成員と一対一で結びついているのである。

マイ茶碗とは

「マイ茶碗」というのは、家庭の中でお茶碗が全員同じものではなく、自分のお茶碗(飯茶碗)が決まっているということだ。当たり前のように思っていると実は、日本と朝鮮に特有の習慣なのだ。

マイ茶碗の成り立ちを考えるにあたっては、江戸時代の箱膳は重要な役割を果たしているようだ。江戸時代の武家や商家で使われるようになった箱膳とは、箱の蓋を返して小さな机のようにして食事をするものである。

ご飯を食べ終わると、そのお茶碗にお茶を入れて飲む。この時に箸でお茶碗の内側をかき込むようにして、ご飯をそっくりと溶かして飲んでしまう。そして箱にしまって食事が終了する。家事をする人が後から水洗いをしてしまっておいて、次の食事の時にまた並べる。

マイ茶碗=属人器の普及

マイ茶碗のように特定の個人に永続的に割り当てられていることを属人器とも言う。

箱膳は、自分専用の食器という習慣を作る基礎となった。箱膳は大正から昭和にかけて、普及していたが、ちゃぶ台が登場して減少し、テーブルが普及して激減した。

箱膳の時代には、必ずしも全員が別々の食器ではなかったようである。揃いの器が使われて入れば、それらは属人的に区別されなかった。

それが、昭和に入ってから、ちゃぶ台の普及した頃に中央に大皿で料理が並べて、これは共用で各自の皿に取って食べる。そして、ご飯と汁椀と箸が属人器として個人専用で使用する形態になったようだ。

茶碗が一人一人別になった理由として考えられるのは、割れやすいもので割れた時に同じものが手に入りにくいということだ。割れたら別のもので代替したのである。セットで買い直すというのは一般家庭では負担が大きい。

食べる量が多い人と少ない人とで、お茶碗を変えているというのも考えられる理由である。体のサイズが異なるから大きさが違うということ。一人一人に専用にすることで、お茶碗を大切に扱うようになるという効果もある。

宮廷や旅館では揃いの食器を使うので、裕福な家では揃いの食器を使うというケースもあるようだ。

マイ箸やマイ茶碗は、日本を特徴付ける文化である。しかし、それは全てが一律ではなくマイ箸が90%程度、マイ茶碗が70〜80%というデータもあり、また地域差もあるようだ。


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