「きちんと、きっちり、しっかり」などの言葉には、自分の決意を示す場合もあるし、上司から言われると丸投げに聞こえたりする。「とにかくうまくやる」というような曖昧な意味なので使い方が大変に難しい。
何も考えていない人が使うと、ただの根性論にしか聞こえないということもある。そもそも考えている人は、これらの言葉を使わない。曖昧すぎるからだ。
「きちんと」「きっちり」は気持ち悪い
プレゼンの中で、管理部門的な人は「きちんと」「きっちり」という言葉を使うのが好きである。一方、成績の良い営業マン、有益なものを提案する技術者はこのような言葉を一切使わない。卓越したビジネス感覚を持つ人はこれらの言葉を使わないということだ。
この手の言葉は、政治家がよく使用する。まともなビジネスマンは政治家の口真似をしない。元は政治家たちがビジネスマンの真似をしたのだろうと思う。しかし、一度世間で使い古されてしまったら、もう使うべきではない。より低レベルなものを連想させてしまい、自分をおとしめるリスクばかりが増えてしまう。
「きちんと」「きっちり」という言葉を使う人は、だいたいは現場の人ではなくて、現場を管理・指導する立場の人であることが多い。いわゆる管理職である。自分自身に向けて「きちんと、やって行きます」とアピールする人もいるが、これは説得力がない。具体性がないからである。これらの言葉を使った瞬間に、その人のマネジメント能力を疑うことになる。
他人に言うと丸投げになる
上手く進んでいないことを現場のツメが甘いなどという曖昧な指摘を行い、現場の責任にして、「今度はしっかりやれ」と言う。そして次には「きちんと」「きっちり」徹底させるというニュアンスなのである。およそ、責任者の言葉としては違和感があるというか、もはや不適切である。全く信頼のできないレベルである。
「きちんと」「きっちり」などという言葉に、「しっかり」も追加しよう。いずれの言葉にも、具体性がない。他人に対して使う時は、丸投げになってしまう。
パワハラする人は、こういう言葉を他人に言うのを好む。「俺はそういうことは全く分からないけれど、お前は何年もやってるんだから、俺より分かるだろ。だから、何でもいいからうまくやれよ!」
自分について言うとアイディア無しという意味
自分について言う時は、策は何もないけれどもとにかくやる気はあります、というメッセージになる。
「きちんと調査をした上で、しかるべき効果的な対策を講じて、きっちりと実行して参ります」などと言うと、もう何も考えていないことは明白である。にもかかわらず、それを言っている本人はちゃんとしたことを言っていると思っているので始末に負えない。
要するに、アイディアはない、それは考えていないから、そこまで間違いない。さらに「やる気はあります」というメッセージになるかどうかは、微妙である。「きちんと」「きっちり」を普段使っている上司は、その言葉を聞いて「なるほど、しっかりやっているな」と思うかもしれない。
何も考えていなくても、なぜ成り立つのか?
何も考えていない人たちであっても、政治家や重役となって成立しているというのは本当に不思議である。
マンション経営者であっても、儲かる物件のそうでないものがあるので、失敗して淘汰された経営者もあるのだろうけれども、その差は考える力だけではなくて運もあるのかもしれない。
経営に関して何の才覚がなくても、大きな資本を所有していることで、イコール経営者となって、特に労働することなく高率の利潤を生み出しているようなケースも多い。
家に財産があったから、というだけで、仕事を辞めて遊んで暮らせる人も身近に知っている。あるいは、老後の資金が足りないから、働けるだけ働きたいという人もいる。さらには、貧困に苦しむ人々もいる。世界は不平等である。
「きちんと」「きっちり」という言葉を使っているのを聞くと、なぜだか裕福で何も困ることのない人の言葉に聞こえてしまう。総理大臣を連想することもある。この言葉を聞くと、大変に不愉快な気分になるのである。
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