災害をバラエティーにしてしまうテレビ報道には強い違和感がある

我が家ではテレビは見ない。もう3年以上家にテレビを置いていない。つい最近の西日本の豪雨被害(2018年7月)についてもラジオで聞くだけであった。

西日本の豪雨被害

猛暑ではあっても晴天の東京にいては、どうしても西日本の状況を想像しがたい。ラジオでは、ひっきりなしに避難勧告の情報、そして警報が入ってくる。

NHKラジオのアナウンサーが緊迫した声で、「川や堤防には近付かないでください。早めに避難してください。避難が難しい場合には、浸水に備えて家の2階に避難してください。家の中でも川や崖から離れた安全な側に避難してください。」というようなメッセージが、ずっと続いていた。

ラジオの放送を聞いて、これは大変なことなのだということが伝わってきた。それは、何度も何度も繰り返して放送しているのを聞いているから、理解できたことで、1回目を聞いただけでは「ちょっと、オーバーだな」と思ってしまったかもしれない。

これもメディアを受け取る側のパターンとして重要なことだ。いつもと大きく変わることがないであろうと思う方向に、情報を勝手に歪めて理解してしまう偏向があるのだ。

いつも注意が必要なのだ。
「ちゃんと伝えたのに!」
「いや、聞いたけど、それほどとは!」

テレビ映像からは何も伝わらない

翌日に処方箋薬局に行った時に、待合室でテレビが映っていた。氾濫した川の水で囲まれて取り残された家、ヘリコプターで空中から救助する映像、濁流の流れる光景などが繰り返し放送されていた。

その映像はショッキングで呆然とその光景に目を見張った。こんなに凄まじいのかと。しかし、しばらくすると緊迫感はすーっとが引いていく。繰り返しばかりで、オリジナルの映像がほとんど3分もないではないか。一番インパクトがあるとテレビ番組制作者が選んだ映像だけが、脈絡なく、ブツ切れでずっと繰り返しになっているのだ。

短い映像だけで緊迫感を出そうとしているので、1分程度の動画のつなぎ合わせになっている。ストーリーが全くないから、こうなって、次にこうなって、それで住民が大変だいうことが全く伝わらない。

住民はどうしているのか。大丈夫なのか。交通はどうなったのか。移動手段がなくて困っているとしたらどうすれば良いのか。どこが安全なのか。何に気をつければ良いのか。そして、指定避難所ではない普通の避難所では、何も援助物資が与えらず「食料は自力で確保してください」と案内されていることなどをもっと伝えたら良いではないか。

テレビ局は映像を流して「いいね!」を求めるだけ

テレビ報道というのは、映像のあるところだけを言葉を十分に足さことをせずに放映するだけだ。逆に言うと、動画がないと、重要なこともあまり伝えられていない。テレビ報道とは、素人に負けないようにプロフェッショナルが、ものすごい巨額の費用をかけて撮影しているだけで、素人のSNSの動画の延長線上で作成している動画であって、ただ「いいね!」を求めるだけのものに成り下がっているように思えた。

これはおかしい、と思う。ラジオで聞こえた、あの緊迫感はテレビには全くなかった。ただ、ショッキングな映像を流しているだけで、それをスタジオの中のタレントやお笑い芸人などが無理して硬い表情を作っているのをテレビ視聴者は眺めさせられるのだ。

さてその後、ラジオに戻ると、停電の状況がどの県のどの町で何世帯あったのか、緊急避難した人たちがどの県のどの町で何世帯の何人が避難したのか、延々と伝えられる。

ラジオの災害報道の緊迫感

この機械的で、ある意味、全く緊迫感の無い統計情報のようにも聞こえてしまうかもしれないが、そんなことはない。〇〇町で24世帯58人、〇〇町で5世帯12人、・・・という数字が延々と語られるという、この非日常の報道には、逆に常ならぬ事態が起こっているということが強く感じられた。

これはNHKのラジオだけだった。ちらっと聞いた、民放ではほぼ通常の放送だったように思えた。

 

テレビ報道は今では単なるバラエティー

テレビ報道を見たのはほんの5分程度だった。民放でどこの局だったのかは分からない。全部がそうというわけでもないのだろう。

現場のカメラは、ショッキングな映像を撮りたいのだろうと思う。それは否定しないけれど、東京のキー局はただショッキングなだけで話題になりそうだから放映する、というような安易な視聴率主義にはなっていないだろうか。

ショッキングな映像をスタジオでお笑い芸人やバラエティーのタレントと一緒に見て、コメントをしたところで全く価値がない。それよりも、交通の情報とか、電気、ガス、水道の状況とか、克明に報道したら良いと思う。

テレビからは、もはや有益な情報は得られないのではないか?

スタジオの芸人とタレントたちが、孤独な視聴者のお仲間となって、一緒に楽しんだり悲しんだり驚いたりしてくれる番組。つまり情報番組である。もうニュース番組というジャンルはなくなって、情報番組のひとつのサブカテゴリーとなったということだ。

事件や問題をあいまいにする番組作り

スタジオでタレントと一緒に見ることで、何やら問題を中和してしまうのだ。災害放送だけではない。

例えば、安全保障関連法案の強行採決のような大事件があってその反対デモが国会周辺で行われているような場合であっても、「はあ、国会付近では暴れている人がいて大変怖いですね。スタジオの中は皆冷静ですけどね・・」というメッセージを出していて、これはで思想的に偏っているかもしれず報道番組としては信頼できない。

どうしたら良いのか?

民主主義の基礎となるのは、正確な報道である。報道が正確に行われるから、その情報をもとに人々は判断ができるはずである。元となる情報が偏っていたら、つまり特定の政権によって情報が歪められていたら、国民の意見も操作されてしまう。

テレビ報道については、あまり信用していないのだけれど、かといって新聞やインターネットの情報ならば大丈夫というわけでもない。受け売りが多いことと、適当にスパイスを加えるライターがいることだ。

情報を入手するのも、大変に困難な時代である。明らかに誤った情報を信じている人もいるようだ。

みなさんにお勧めするのは、バラエティー化した報道番組を見ないことである。そして面白い番組を見ないことである。面白いものには作為があるのである。面白いほど嘘が混ざっている可能性がある。

テレビは視聴率に反応する仕組みであるので、視聴率が下がれば何らかの修正がされるだろう。

しかし、NHKは視聴率に左右もされず、政権党の圧力で報道番組のキャスターを降ろしたりするようで、これはこれで一体どうなっているのかと思う。

 

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