ポトフはフランス料理、熱々に煮るとフォークやスプーンが欲しくなる

今日の夕食は、ポトフだ。牛スネ肉、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、玉ねぎなどが入っている。

ポトフはフランス

圧力釜で調理して、さらに鍋で合わせて煮込んである。元はフランス語でpot-au-feuと書くのであるから、フランス料理と言っても良いのであろう。

フランス料理と一口に言っても、フォークがなかった時代とそれ以降とでは大きく異なっている。このポトフはやはり古い時代のものである。

そもそも食事は、手で食べるということが力強さの象徴であった時代がヨーロッパではかなり長い時代続いていた。狩りをして動物を仕留めて、皮を剥いで肉を焼いて、ナイフで切って、手づかみで食べる。人の命の源であったとも言える。

首長や君主になっても、このような豪放さを売りにした人もいたようだ。おおよそはフランスがイギリスを統治していた頃か、あるいはそれ以前の話である。肉を手づかみで食べるというのは、今の感覚で言えば、品が良くない。上品でないばかりか荒々しい。

熱々に煮るとフォークやスプーンが欲しい

フォークがない時代は、ナイフで突き刺して食べていたようだ。とはいえ、こういうことをするのは極めて男性的なイメージがある。焼いた肉や野菜などは、素手で持つと熱いのでナイフで突き刺してそのまま食べるというのは普通であったようだ。

女性は一体どうしていたのだろうか。答えではないのだが、奥さんたちは、ポトフを煮るのである。女性は、ただ肉を焼くようなことはしない。肉があれば、野菜と一緒に煮るのである。たくさんの食材がそれぞれの味を出して混ざり合って高め合う、こうした複雑な味を作り出すということは本当に素敵なことだ。

このポトフは文字通り「火のように熱い」のである。アツアツに煮てあるので、手では触れないし、スプーンを使ってもちょっとずつしか食べられないのである。こうして、手づかみの野卑な男たちもちょっとずつ行儀が良くなるのだ。これは歴史ではなくて、文学的な話をしている。

さて現代に戻ると、今日のポトフには、ソーセージは入れなかったが、子供達が食べるのでフライパンでさっと炒めたソーセージがお皿にのっている。写真の上に僅かに見えているのがそれだ。

これは子供用の「ソテーしたソーセージ」である。誰かの指が写り込んでいるわけではない。ちなみに僕はソーセージはボイルしたものを食べる。いや、食べていた。というのは、最近では添加物の関係でソーセージは滅多に食べないのだ。残念。

(注:最近では、「無塩せき」かつ「無添加」のものが手に入るようになり、何とか少しずつ食べられるようになった。ちょっと高いけど)

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