シューベルトのピアノ曲にはまる〜即興曲・ピアノソナタ

突然のことで、自分でもびっくりしているのであるが、シューベルトのピアノ曲にはまっている。長い間ずーっと、退屈な曲ばかりだと思っていたのだ。

シューベルトにはまる

思い返せば中学生の頃に、未完成交響曲にはまったことがあった。ずっと忘れていた。その時はオーケストラ楽譜を買って丹念に研究した。オーケストラのポケットスコアの存在を教えてくれたのは、通っていた小学校の音楽のH先生だった。

音楽教師の独自カリキュラムで、作曲の宿題があった。単純な宿題で二部形式を作って来いというだけのものだ。16小節書けば終わってしまうのである。ここからは、自慢なのだけれど、提出した宿題というか、作曲した作品というのか、この曲を音楽のH先生がとても高い評価をしてくれたのだった。

H先生は、夏には一人でプールで泳いでいたりする。自分の音楽の授業がなくて、体育でプールを使っていない時間ということだ。誰もいないプールを一人で使って、ゆったりと泳ぐのはさぞや気持ちが良いことだろう。

家には僕以上に楽譜を知っている人もいなかったので、完全な自力だった。もともとそんなことをする予定はなかったのだろうが、H先生がこの曲を気に入ったので、ピアノ伴奏を付けて、他のクラスでも弾いて見せたのだった。とても良い、ということで。

それが音楽教師が選んだ一等賞という扱いになってしまい、そのことで僕は少し有名になった。3週間くらいは、作曲家と呼ばれて賞賛されることになった。嬉しいようなくすぐったい気持ちだった。しかし、そういうことはすぐに終わってしまうものである。

後で見ると八分音符が一個余計にあって、拍をはみ出していたりしたけれども、音楽教師は、それについては何もダメ出しをしなかった。そんなの気にしなくていい、という感じだった。どこかで雰囲気により、3連符にしたりして対応したのだろうと思う。

H先生はピアノがとてもうまくて、最初は自分の作ったメロディーだとは分からなかったくらいだった。アレンジと演奏が良かったのである。今では、その曲の楽譜もないので、思い出すヒントが全くない。

そして、こんなことがあっても、それから僕の音楽人生が華々しくスタートしたというわけではなかった。それからも色々と大変なことがあったように思う。

未完成交響曲

さて、シューベルトの未完成交響曲であるが、楽譜を書き写したりして、いろいろと調べてみたけれど、音楽の美しさの秘密というものは全く解明できなかった。楽譜はとてもシンプルなのである。

でもシンプルだから、美しさの秘密を解明しようという動機にもなるわけだ。その楽譜がマーラーの交響曲みたいに複雑なスコアだったら、書き写そうなどと思いもしなかっただろうと思う。

その後しばらくして、シューベルトからショパンに興味の対象が移っていた。それからは、シューベルトのことはすっかり忘れてしまった。

高校の時に、交響曲グレートを聞いて、なんて退屈な曲だと思った。ハ長調なのが特に嫌だった。7番なのか8番なのか9番なのかもはっきりしない。それ以来、どうやらシューベルトは退屈な曲を作る人と勝手に思い込んでしまっていたようである。本当に勿体無いことであった。

それから何十年かが過ぎ、親になり子供ができて、ある時、子供達がピアノで歌曲「魔王」のピアノパートを弾いていて、三連符の連続でピアノを弾く手が、ヘナってくる(疲れてくる)のを見て、不思議なことであるが、その時に改めてシューベルトを見直したのである。

こんなにずーっとピアニストに三連符を引かせ続けるのか。オクターブでの三連符なので、手首を使ってずっと動かし続けなければいけない。何と大変な曲なのだ。しかも、それを誰も強制もしていないのに、子供達が連弾して自発的に弾いているではないか。

それだけの力が、人を惹きつける力が、シューベルトには、否、シューベルトの音楽にはあるのだろうと思い至った。

シューベルトは、1797年に生まれて、1828年に31歳の若さで亡くなっている。梅毒であったようである。その若さにもかかわらず、数多くの曲を作った。歌曲も名曲が多いので有名である。

そして、生誕221年、没後190年となる、この2018年は、僕にとっては初めてかと思っていたが実は忘れていたために本当は2回目となる、シューベルトの個人的なブレイクの年なのである。(→作曲家年表

マイ・大・ブレイクである。(ブレイクという言葉は現代の若い人々にも通じるのだろうか? 説明はしないが文脈から汲み取ってください)

オクターブといえば、ショパンの英雄ポロネーズの中間部の左手のオクターブもとてもきつい。「ドシラソ、ドシラソ、・・・」てな具合に延々と続くのである。

シューベルトの魔王では、右手のオクターブの三連符の連打が延々と続く。シューベルトは三連符が大好きである。何かというと伴奏が三連符に進んでいくのである。

にもかかわらず、歌曲「魔王」のピアノは、シューベルト本人は弾けなかったという話を聞いたことがある。

さて、シューベルトについては、2018年11月になって急に「はまった」ように思っていたが、家に楽譜があったのだ。さかのぼること7か月前の2018年3月に、即興曲の楽譜を買っていたのだった。これもまた不思議なことである。あらかじめ準備されていたかのようだ。

即興曲について(Op.90  D 899)

即興曲は幾つかあるのだけれど、やはりOp.90の4曲が一番有名で、曲の出来も大変良い。(Franz Schubert Impromptu Op.90  D 899)

即興曲Op.90の1曲目は、重苦しい短調のメロディで、ちょっと憂鬱な感じで始まるのだが、途中から、だんだんとやわらかくなってくる。かなりツラくなってきたところで、もうダメかなというところで、気持ちの救われるような場面がやってくる。長くは続かなくて、また重苦しくなる。そして、また救われる場面が登場する。

救いのメロディのところも、左手は単純な三連符の和音だけで伴奏する。すかすかの2声部だけの構成はとても危なげで、右手と左手の伴奏和音とで掛け合いをする。掛け合いをするけれど、あまりにも言葉が少なくて、明確な意思は伝わらない。

この危なげなコミュニケーションが、何か将来の不安を予見させる。付き合い始めた男女が、目をキラキラさせて楽しそうにしているけれども、どこか言葉がかみ合っていないというような、そんな雰囲気なのである。

2番は明るくて気持ちの良い曲だ。中間部がなぜか演歌調になっている。この部分はいらないんじゃないかとずっと思っていた(昔から聞いてはいたんだな)。この真ん中とコーダにかかる演歌は、シューベルト節なのである。

そして、3番は、今一番はまっている。後のリストの愛の夢にも通じるバラードの流れである。過去をさかのぼってどこにその原点があるのかは、まだよく分からないが。

最初に内田光子の演奏を聴いた時には、何とも思わなかった曲だったが、ホロヴィッツの演奏を聴いた時に一気に目が覚めたような気分になった。

どうもホロヴィッツ以外のピアニストは、3番を速く弾いてしまうので、叙情性が抜け落ちてしまうようだ。遅く弾けば良いというものではないが、歌う気持ちが必要で、それは声をはりあげるのではなくて、話すような歌い方が、この曲ではしっくりとくる。

ピアノソナタ

ピアノソナタ曲集の楽譜を買った。迷った挙句に、ヘンレ版の1巻と2巻を買った。3巻は気が向いたら買おうと思う。未完成のものが集まってすっかり1冊分になっているのだ。

シューベルトは、どうも何か目的を持って、書いているのではないようなのだ。つまり、演奏会のためとか、収入を得るために出版しようとか、何かそうした前向きな目標があって作曲していたわけではないらしいのだ。

それでは、何かというと、もうただ勝手にどんどんと音楽が湧いてくるので、それが頭の中にガンガン響いてうるさいので、楽譜に書くと治るといった風なのである。実際には知らなくて、そんな風に感じるということだ。

シューベルトの曲は、楽譜を見ていても退屈だし、ピアノで弾いてみても退屈である。難しいところは、華々しいピアノ演奏の効果があるかと言えば、そういうわけでもない。ただ、何となく難しいのである。ピアノで弾いてみることをしないで、直接に楽譜に書いているところも結構あるのではないだろうか。

退屈な繰り返しが、ちょっとずつ前と違っていたりもする。ところがそれを何度も弾いていると、30回とか50回とか、あるところで急にパチッと音を立てて、スイッチが入るのだ。すると、突然良い曲に聞こえてくる。また、しばらくすると一度は名曲になったはずの曲が、また凡庸と退屈の海の底に沈んでしまったりもする。

本当に不思議な作曲家である。

シューベルトの時代

シューベルトは1797年生まれで、その13年後の1810年にショパンが生まれ、シューマンも同年、そしてリストはその翌1811年に生まれている。

ロマン派の幕開けというようにも言われているようであるが、シューベルトは古典派でもあって、ベートーヴェンより27歳遅く生まれているわけであるが、シューベルトは亡くなったのは、ベートーヴェンが亡くなった翌年なのである。そういう意味ではベートーヴェンの時代と被っている。

そう思えば、やはりシューベルトはその時代からしても古風だったのだろうなあと思う。

 

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