テレビを見ないという選択〜質素で心豊かな生活につながる

まだ、この重要な話をしていませんでしたが、我が家ではテレビをやめました。生活空間からテレビを取り除いたということです。家族の協力があってこそできることでもあります。

ある日突然にテレビを撤去

2015年の4月。今までリビングや音楽室に置いていたテレビを撤去した。それに伴って家族も同様にテレビから離れて穏やかな生活を送っている。

僕が物心ついた時には家に白黒テレビがあった。それが小学校に入る前年にカラーテレビになった。小学校の頃は、まだどこの家庭もテレビには厳しい時代で、見て良い時間帯見て良い番組が決められていたものだった。我が家では「8時だよ全員集合」はかろうじてOKだったが、「天才バカボン」は見てはいけないという家もあった。1970年代のことである。

それがいつの頃か毎日何時間も見るようになってしまうのである。テレビというものは習慣性がある。別の言い方をすれば、そうなるようにうまく番組が作られているのである。

僕だって、テレビを見るのは、当たり前だと思っていた。もうかれこれ四十年以上もそう思っていた。しかし、それは間違いだった。やっと気づいたのだ。

テレビで放映されているドラマなど見るべき価値のあるものも実にたくさんあったと思う。ドキュメンタリ、報道、音楽、芸能、お笑いなど、今でもとても好きなジャンルである。

その一方で、バラエティー番組では旧来のパターンが長期間繰り返されている。聞くところによれば、テレビをやめた二年半前と同じ企画のクイズやバラエティーが今でも変わっていないらしい。正月番組や季節特番なども進歩はないようだ。また、1時間枠のハウツー番組なのに、要約すると意味のあるメッセージが数行しかない、ということもある。民放もNHKも同様の傾向がある。

1. テレビは寂しさの代償

昨今の傾向として、出演者がやたらと多い。昭和の時代であれば司会者は一人が普通だったが、今は司会者が2人、3人いることも珍しくない。コメントするタレントも10人も二段になって座っている。なぜこんなにたくさんの人が登場するのか。理解に苦しむなどとは言わない。ただ、意味ないし、面白くないし・・・出演者の数では補えないのも明白だけれど。

コメント専門の芸能人たちは、ある意味で職業的な浮沈もにらみながら本気でコメントしているのであろう。でも、彼らのコメントとリアクションの競争を見ても何にもならない。「ちょっと残念な感じ」

これは僕が勝手に思うのだけれど、一人でテレビを見る人が多くなったので、テレビの中にたくさんの出演者を配置させるのではないか。視聴者の家族構成は1980年代後半から大きく変化し、かつて家族で見ていたテレビが、今ではたった一人でテレビを見るようになったのである。

一人で見ても寂しくないように、テレビの中に一緒に見ている「仲間」ができた。これは芸能人の集団である。彼らと一緒にVTRを見るような仕組みを作って、その同じレベルで視聴者も一緒に見ているような情景を作り出す。テレビの中の芸能人である「視聴者」がコメントをして、それに同調したり、反発したりする。

テレビ制作者たちはとても賢いので、このように進化した「テレビ装置」を使って視聴者を喜ばせるわけである。ここまでは需要と供給の関係でもあり、さしあたって問題もないように思われたかと思う。家族、あるいは友人・知人・恋人・愛人と過ごしたいと思っても、障壁もあるし、それを乗り越えたとしてもそこにはまた別の心理的なコストもある。

日本人のほとんどの人は、テレビを見ることの倫理学的な是非(善悪)や、社会心理的な影響、健康への影響などをほとんど考えてはいないだろうと思う。

2. テレビは時間の浪費

テレビを見るということ自体には明らかに習慣性がある。朝起きるとテレビのスイッチを付ける、帰宅するとテレビのスイッチを付ける、という人は多いだろう。テレビは見続けさせることが広告収入になる商売なので、とにかく長い時間見やすく飽きないように作られているわけだ。

つまり、時間が止めどもなく浪費されてしまう。

多少の知恵というのか、映像視聴による経験値も上がるのだけれど、何よりも多くの時間を失ってしまう。これは大きな問題だ。

そもそも、暇だからテレビを見てるんでしょ? テレビを見るよりももっと価値のあることをする人はテレビを見ない。やはり、テレビを見る以上に価値のあることをしない人がテレビを見ているということになる。

これは言うまでもなく「時間の浪費」である。

3. 世の中の常識を勝手に作り出してしまう

もう一つ言うと、ニュースも報道も映像に頼りすぎるのである。映像がないニュースはどうしてもテレビ受けしない。ニュース番組も視聴率で動いているので、映像のインパクトは重要だ。あるニュースで某企業の不祥事が報道される際に、本社社屋の写真が「静止画で」映るだけではテレビ的には全く面白くない。するとそのニュース自体の放送時間が短くなってしまう。

さらに僕が本当に怖いと思っているのは、とかく日本人というのは自粛というのが好きらしいのだが、メディアですら勝手に自粛してしまうことだ。そもそも日本のジャーナリズムというのがどれだけ独立心を持って、ジャーナリストの気概を持って臨んでいるのか窺い知れないのだが、重要と思われる事実を勇気を持って報道して欲しい。政権与党に迎合した報道も多いように思う。

日本のメディアの一番の問題は、国際情勢についての報道が少ないことだと思う。アメリカは日本をその属国に持つ軍事大国であるが、今も日本を半分占領しているかのような状態であるにもかかわらず、というかそのためか、本国アメリカの情報も極端に少なく大変気になっている。

トランプが大統領になる前の日本の思い込み報道も然り、アメリカにおける児童結婚の実態とか、銃犯罪の日常とか、貧富の格差の拡大とか、アメリカのキリスト教カルト集団のこととか、米軍が世界で引き起こしている事件とか、極端に少なくて、日本の新聞やニュースではあまり登場しない。

今では「大衆」と「支配階級」みたいな対置はしなくなった。実際には貧困層もあるわけだけれど、社会の中で上層と対立する概念ではなくなった。下方にはみ出たマイノリティという扱いだ。これは、ちょっとおかしいのではないかと思う。

社会の悲惨を取り上げるにも、テレビでは映像が伴うためなのか、どうも極端な例に見えてしまったり、ちょっとしたショットがものすごく凄惨なイメージになったりすることもある。どう受け取ったら良いのか判断できないことも多い。差別的感情がどこにどう向かうのかも予測できない。

当たり前だけれど「(3) 情報の偏りがある」のだ。でももう今では何でもそうなんだ。「強く生きようとしている」事例が、「お涙頂戴風」に演出されてしまったりすることもあるように思う。

4. テレビはもう古い?

さて、テレビをやめて良かったことは、たくさんある。家族で話す時間が増えたこと。音楽を落ち着いて聞けるようになったこと。急かされるような感じがなく生活できること。などなど。

テレビをやめると時間から解放される。一回見たドラマが面白いとどうしても次回を見たくなる。録画しても良いが、できればリアルタイムで見たい、と思い始めてしまうと、肉体は自由を失ってしまう。

仕事でも時間に追われ、家でも時間に追われる。時間に追われるのが全く苦にならない人もいるだろう。そうでない人もいる。

オフの時間がゆったりと過ごせるので、多くの人にテレビからの卒業をお勧めしたい。


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