神社で参拝する二礼二拍手一礼は昭和の新しい習慣だった!それ以前は神仏習合あるいは神仏混淆

神仏習合というのは、日本に古くからある神道と大陸からやってきた仏教が、伝来と導入・布教の過程で一つになっていった。神仏混淆ともいう。日本特有の宗教のあり方である。

日本では奈良時代からずっと神仏混淆

6世紀の飛鳥時代に仏教が伝来して、奈良時代頃にはもう仏教と神様は混じり合って共存していたようである。厩戸皇子も仏教を尊んだという。

以来、1500年以上、日本では仏教は神様と一体となって、日本人と共に生きてきたのである。神社仏閣、神様仏様、という具合である。

その後、明治時代になり、明治元年3月28日に明治政府は「神仏判然令」を発布して、日本の国教を神道として、神社の中に仏教の象徴としての仏像、梵語などが残ることを禁止した。

明治になって突然の神仏分離

神と仏とが分離されることが日本の法律で規定されることとなり、これを契機として廃仏毀釈運動も起こって、それまで神社の中に普通に存在していた寺院や仏像が破壊されたりした。

奈良時代以降の神社の内部のことはあまり詳しくは分からないが、明治に至るまでの1500年以上の長い時間は、それこそ計り知れなくて、神社への参拝の仕方も寺社への参拝の仕方も様々であっただろうが、神社と仏教寺院とで違いがあったという記録は見つかっていない。

6世紀からずっと神社と仏教は互いに矛盾のないものとして共存して来たのであるから、人々の振る舞いに何ら違いがあるわけがなかった。

神社での拍手は実は新しい風習

拍手するという習慣は実に新しいらしい。拍手が一般に普及するのは、明治時代以降であるらしい。拍手は神職が玉串を奉納するときにするもので、参拝者は拍手をすることはなかった。

明治になっても、神社への参拝の仕方は特にルールというものはなくて、信者は心を込めて合掌し、礼をする。これは明治時代までは日本全国ほぼ同様であり、祈る人の自然な振る舞いであるとも言える。

昭和の戦争前後においても、このように合掌して祈る人が多かったようだ。

二礼二拍手一礼

この拍手というのは、明治8年に太政官式部寮が布達した「神社祭式」に拍手が取り入れられたことから始まる。拍手は、日本では古くから神様や貴人を敬う際に行うことがあった。宮中では平安時代には拍手はされなくなり、現在も男女共に拍手はしない。

明治時代に、伊藤博文は「一揖再拝二拍手一揖」と言ったそうだ。揖とは軽い礼のことで、拝は深い礼のことで、再拝とは2回の深い礼のことである。つまり、「軽い礼、深い礼、深い礼、拍手、拍手、軽い礼」となる。

神社の作法については、明治以降、いろいろと改良されて、明治40年には「神社祭式行事作法」が制定され、「再拝、二拍手、押し合せ、祝詞奏上、押し合せ、二拍手、再拝」とされた。7つの作法が中央の祝詞奏上の前と後でシンメトリーになっている。「押し合せ」とは合掌のことなのようであるが、他の動作があるのか、詳細は不明だ。

これが昭和17年には「再拝、二拍手、一揖」と変更された。中央部分がごっそりと取り払われ、大量の人間が来ても参拝しやすいようになったのである。

重要なことは、この時点では、二礼二拍手一礼が正しくて他が間違いだということではなかった。あくまで良い手本ということだったようだ。それが昭和の国粋主義と軍国主義が進む中で、規律として厳格になっていったのである。

参道の中央は神様の道?

参道の中央を神様が通るので、参道の真ん中を踏むことなく、左か右にそれて歩くべしという指導もされたのであるが、これも何だか根拠がないらしい。

そもそも、神道の神様は、イエスでもモハメッドでもブッダでもない。対比したのは、日本の神様は一切、お言葉を残していないのである。こうせよ、ああせよ、とは一言も言わない。全ては、空気を読め! というように、何一つ戒律がない。

だから、真ん中を歩いてはいけないという戒めを考えた人は、神様の尊厳を慮って(おもんばかって)発言したのではないだろうか。それは違うんじゃないかと思うような違和感もないので、何となく信じてきたのだが、それは神様が命令した訳ではなかった。

神様は自由の精神

神様に向き合う時は、あらゆるものに思いやる精神である。自分が善と信じるものを「思い浮かべる」のである。親や恩師や先祖と向き合うような気持ちになるという人も多い。

それも人それぞれで良くて、自分はもっと良い方法があると考えるならば、遠慮する必要は何もなくて、自分が良いと思う方法で神様と向き合えば良いのである。

日本の神様は、何とおおらかで、広いのであろう。日本の神様はあまりにも自由度が大きい。神様を大切に思い、感謝する気持ちがあれば、どこかで何かしらが向上するだろうと思う。

二礼二拍手一礼とは、洗練されさっぱりとした良い礼拝の形であるし、平安時代以前から続く祈りの合掌も神様に向き合うスタイルとして決して間違いとは言えない。

初詣は明治になって鉄道会社が宣伝した

初詣というものも、有名な寺社仏閣に出向くのは、国鉄や私鉄が宣伝して広めたということは有名である。

そもそも、年が明けて神様を迎えるために、門松を飾ったのである。木の梢に神が宿ると考えられたので、年神様を家に迎え入れる依り代(よりしろ)という意味がある。

せっかくお正月に向けて年末から神様を迎え入れる準備をしておいて、神様と入れ違いに、自分は遠地の神社仏閣に出かけてしまうというのはありえないことだった。そもそも神様に失礼である。

関東では、明治神宮、浅草寺、川崎大師、成田山新勝寺が特に参拝者の多いところである。戦後には、お正月の娯楽の一つとして次第に流行するようになり、大晦日の夜中や元旦の早朝に出掛けて行くようになった。鉄道の終夜営業というイベントも大晦日ならではである。

1980年代は、NHK紅白歌合戦が終わるとゆく年くる年があって、その後は民放テレビで映画を流し続けたのである。渥美清主演の喜劇初詣列車が懐かしく思いおこされる。

神社は清々しい

誤解されないように言うけれども、二礼二拍手一礼が新しいからと言って、何も悪いことはない。私もいつも二礼二拍手一礼で参拝している。順番を迷ったりしていると、気持ちが落ち着かなくなってしまい、気持ちが落ち着かなくて、本来の参拝ができなくなってしまう。

だから自分の参拝のスタイルを決めておくのは、悪いことではない。絶対的なルールではないということであり、他の人と異なっても何も問題ない。人の目をきにする必要もない。

また、家族で一緒に参拝するときにも、同じスタイルで同じようにお祈りをしなくても良い。自分と神様とが一対一で対峙するのである。

神社参拝の順番(一つの例)

繰り返すが、参拝の方法には、正しい方法があるわけではない。その人が神様と向き合うのに良いと思う方法であれば、どのような参拝の仕方であっても良いのである。

  1. お賽銭を静かに入れる
  2. 大きな鈴を鳴らす
  3. 深い礼を2回
  4. 合掌して祈念、(心の中で)神様へのあいさつと感謝・報告など
  5. 拍手を2回
  6. 深い一礼

最初がお賽銭である。これは一番最初に処理すべきことなのである。流れとして、次の手順が進めやすいのである。4と5を入れ替えて、先に拍手をしてしまっても良い。それからゆっくり合掌して祈念したいという人もいるだろう。拍手をしないという人もいるかもしれない。

お賽銭について

金額の大小は一切関係ないので、持ち合わせの小銭がなければ、紙幣など入れる必要はない。気持ちに濁りがなければ良いのである。ちょっとご挨拶、という感じで良いのである。

私は硬貨を賽銭箱にそっと優しく入れたいと思うタイプである。あまり大きな音がしないように、ことっと落ちるように入れたい。大きな音をさせたり、投げ入れたりするのは、何だか礼儀を欠くような気持ちになる。

500円が一番良いという話を聞いたことがある。普通は100円玉か500円玉を入れる。しかし、1円、5円、10円をジャラジャラと入れるのは、あまり感心しない。募金ではないのである。もし仮に世話になった方にお礼を差し上げようという時に小銭を贈るかどうかというセンスの問題である。美意識のレベルである。

神様への奉納なので、少額であっても気にすることはないのだが、それが気まずいというのならば、次回参拝の時にまとめれば良い。

蛇足かもしれないが、そもそも神様はお金を必要としないし、金額によって何の違いも影響もない。しかし私たちには神社を守る神職を応援する役目があるのである。

神様への挨拶の方法

気持ちというのは、まさに人間の感覚であって、神様には関係のないことなのであるけれども、人間がそれを気にするので人間が気持ちを込められる環境を作ることも重要になって来る。

神様への挨拶のところでは、私は最初に「いつもありがとうございます」と唱えてから、心の中で自分の名前と住所と、守るべき家族の名前を唱えるようにしている。これもルールがあるわけではない。

そしてまた蛇足だが、神様は郵便を送る必要がないので、人間が作った住所など関係ないのだが、人間には神様の為すことは計り知れないので、擬人化して高貴な人に対するように接するというだけのことなのだ。

神様への挨拶とは、各人のスタイルなのであって、全く自由で良いのである。感謝の気持ちを持つことが、参拝の基礎となるもっとも大切なことだろうと思われる。

神様は歩くのか?

「参道の中央を神様が通るので端を歩くようにせよ」というのは、ありそうなことだし、神様がもし参道を通るとすれば、神様は石畳の端よりはむしろ真ん中を通るだろうと想像されるわけであるが、神様が通るのは誰にも見えないのである。

もっとよく考えてみると、神様はなぜ地表近くを通るのか、そもそも歩くのだろうか。ましてや人の波をよけながら進むようなことはなくて、近くを通るときにも人間の頭の上を通り過ぎて行くのではないだろうか?

神様の足が、人間の頭を踏みつけてしまうから人間がよけるのか? それはそれで構わないではないか。あるいは神様は、大空を飛んで行くのであろうか。

参道を通ると信じる人は参道の中央を避ければ良いし、神様は大空を駆け巡るのだと思う人は別にどこを歩いても構わないだろう。先ほど、神様を擬人化して礼をする話をしたけれども、神様を高貴な人と例えると山道の中央を開けるという発想になるわけで、それはそれで自由である。

拝殿に進む際に左側に手水舎がある場合には、左側通行で進んで帰りは反対側ということが多い。左側通行か右側通行かは神社によって統一されてはいないので、多くは手水舎の位置によって決まるというのが経験則である。とは言え、これも別に定まったルールではない。

神社と空気を読む文化

それも空気を読むべし。ということである。日本文化は空気を読む文化と言っても良いのではないだろうか。神社には、およそ何の戒律もないのである。神社や神職には作法や儀式や修行があるけれども、参拝者には何も課せられていない。

お寺に行けば説教され、戒めを教わるけれども、神社では何も行動を規制されることがない。それでも神社に行くと、秩序と礼節が保たれているのは、訪れる人々に信仰心や敬意があるからであろう。

何も説明されないのに、維持されている秩序というのは大変に貴重なものである。この世界に誇るべき「空気を読む文化」とは、ゆうに「世界文化遺産」認定に匹敵するものである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください