ブラジル料理のパステースが我が家ではおせち料理となった話

お節料理は家ごとに様々であるが、我が家の正月料理の中でとりわけユニークな料理がパステースであるので、ここでご紹介する。

パステースとは

パステースとは、具材をパイ生地やパスタ生地で包んで揚げた食べ物である。サクサクとした牛肉を包んだパスタ料理である。ピザとかナゲットとかに近いスナック感覚の食べ物である。

中の具材は、牛肉に限らず色々なものを入れるようである。肉もあれば、チーズを入れたり、あるいはまた塩漬けの魚だったりするようだ。

また、パステースというのは何もめでたい席で食べるというものではなかったようである。

パステースと言うのは複数形である。単数系では pastel とい書いて、その複数形が pastéis である。複数形の発音がパステイスなのであった。pastelは「パステル」だが「パステウ」みたいな発音で、pastéisはそのまま「パステイス」である。

我が家のパステースの由来

私の祖父は外交官で海外各国に勤務しており、数カ国で生活していたようであったが、その中でも特にブラジルの料理が家に正月料理として伝わっている。

祖父が大使として赴任したブラジルのリオデジャネイロで母が生まれた。その後、第二次大戦の戦中にブラジルから交換船で帰国したために、それが戦後のドラマになったりと色々あり、最後の海外生活ということになり、より一層ブラジルについては思い入れが強く残ったということだろうと思う。

日本の正月は魚や野菜が豊富でとても贅沢なものであるが、現代の食生活に肉食文化が欧米から入り込んでくると、いわゆる若者にとってはお肉がちょっと不足しているような感じがあった。今は焼き豚を作ったり、ローストビーフを作ったりすることもかなり普及したようだが、昭和30年代にはあまりそういうことがなくて、ただ餅を食べ続けるしかなかった。

そのような感じで、お節にはお肉が少なかったので、祖母がここに日本の正月料理として新たに導入したものであった。肉料理を正月料理に導入した草分けであったのはかなり確からしい。

祖母は大概において肉食だったようであるが、母も魚や肉が好きだったようだ。伯母・叔母もそうだったのかもしれない。祖母は、若い頃からの文学少女で成人してからも小説を書き数冊の単行本を出版し芥川賞の候補にもなった。文学関係についてはここでは省略する。

パステースの写真

さて、パステースは餃子みたいな形になっているけれど、縁をフォークでぎゅっと押さえつけて、止めるのが特徴。パスタ生地に蓋をして、フォークでぎゅっとするのは誰でも容易だと思う。中華の餃子のように縁を折りながらくっつけるなどというのは、器用さが求められる高度なテクニックであって、やはりこれはアジアの文化という気がする。

パステースの作り方

中身の具材は、牛のひき肉に少しだけ小麦粉を降って、刻んだ玉ねぎと一緒に炒める。塩胡椒で軽く味をつけて、パセリのみじん切りを混ぜる。

ブラジルのオリジナルはもしかするとパセリではなく別のハーブであったかもしれない。少なくとも日本でもパセリは容易に手に入ったということだろう。

餃子の皮で具材を包んで、皮の縁にちょっと指で水をつけて蓋をして、後からフォークでぎゅっと押し付けてしっかり止める。

あとは、さっと薄い小麦色になるように揚げるだけだ。


パステースのお供に、おせちもちょっと紹介。

お煮しめ、焼き豚、鳥ハム、ポテトサラダ。

鶏がらスープのお雑煮。

以上です。

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