カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(原題  “Never Let Me Go” )について書く。

何を言うべきか、何を言わないべきか?

この本について何と言うべきか。何を言わないべきなのか。とりあえず今は何も言わないでおこうと思う。いや、やっぱり全て書くべきか。さて、どっちか。

ものすごくリアルで繊細な感情表現が精密に書き込まれていて、心や感情の動きをシャーレに載せて顕微鏡で見ているような、不安も安堵も含めた心を動かされる情景が次々に現れる。

それだけでも小説の世界に浸ることができる。イギリスの人々がこれほど繊細なのか、あるいは、著者が幼少期に日本からイギリスに移り住んだ外人として育ったことによる影響があるのかどうか、それはどちらとも言えないのである。

もしかすると、イギリスという国とその国民は、そのような繊細さを持っていたからこそ、世界の帝国として発展できたのかもしれないとは思うけれども、その一方で、この小説のペシミスティックな世界観というのか政治体制のようなものは、むしろ日本でこそ陥りがちなことのようにも思えるのである。

愛の証明は一体どうやって?

人はどのような形であっても、必ず死んでいく存在である。その向かってくる死に抗(あらが)いながら、もう手のひらの中の小さなヒヨコみたいな、ごく小さな愛を生み育てていく。

そして、その愛が確かに存在するということを誰かに証明しなければいけない、という状況に立った時に、人は一体どうやって、自分たちの愛を証明することができるのか。

特筆すべき、人に誇れる愛の形というものなどはあるのか。その愛の崇高さを測れる指標などあるのか。いや、あるものかと思う。しかも、この世界はものすごく不平等で、倫理など元からないのだ。

残酷なことがまかり通る時代

世界中で人道主義が揺らいでいる。自国中心主義が広がっている。今までは、様々な人道的な考え方が、揺るがぬ倫理として社会通念の根幹にあった。すなわち、難民は救済するべき、病人は治療・看護するべき、貧困者を保護するべき、という観念が世界の全てではなかったけれども、過半数はそうだったのだと思う。

国家間では争いが絶えず、国境や関税、貿易赤字黒字の処理、一方的な国境の侵犯、またそれに伴う対抗武力行使などがあり、いつまでたっても大人にならないように見える。

戦争や紛争の暴力は、(目にしたくはないけれども)比較的把握しやすいものである。戦闘状態にあるなしに関わらず、その国の中には、社会の奥底で、暗い部分が必ずあるにちがいない。ものすごく冷徹で、残酷な仕組みがあるのではないか。

ものすごく残酷なものをイシグロ氏は綿密に設計して、しかもそのような残酷なものであっても歴史の流れの中ではありうるということを強いリアリズムで描いて見せてくれる。現代の世界に対するシニカルなメッセージを読み取ることもでできる。

 

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