クラシック音楽では楽譜がとっても大切だということを伝えたい!

クラシック音楽では楽譜がとっても大切だということ

クラシック音楽というと広すぎるのでピアノ曲を例に説明します。

当時の演奏はもう聞けない

ショパンの演奏はどんなだったのか。ショパンの演奏はショパンの弟子がまたその弟子に伝え、ある程度のことは現代にも伝えられている。独特のルバートやテンポ感とか、軽やかなタッチとピアニッシモの美しさ、などがあったという。

伝えられないこともあって、当時のピアノは現代のものとは少し異なるしホールの響きも違っただろう。当時のメトロノームはあまりにも誤差が大きくて正確なテンポは分からないし、何よりも実際に聞くのとその解説を聞いただけでは大きな違いがあるはずだ。

ショパンが生まれたのは1810年で、ベートーヴェンは1770年生まれ、モーツァルトは1756年生まれだ。さらにバロックまでさかのぼると、J.S.バッハは1685年~1750年、楽器も全然違う。バッハは、チェンバロや初期のピアノ(ジルバーマン・ピアノ)を弾いている。

作曲家の本業は楽譜をかくこと

作曲家は古くは誰か王侯貴族などに召し抱えられて音楽を作って演奏し身を立てていたわけだが、ある時期から段々と、楽譜を書いて売るというのが本業となってくる。

ブライトコプフ&ヘルテルは1719年にドイツで創業した楽譜屋で、ショットは1770年、ペータースは1800年創業で、今も続いている。(楽譜屋は、楽譜を売りつづけて利益が出ていたというのは、かなり割が良かったんだろうと推測される・・)

作曲家の原稿を清書して製本して出版した楽譜屋である。作曲家の手書き楽譜を丁寧に読み取って清書し、何度かの校訂を繰り返して、出版されたわけだ。初版と第二版で音が異なっていたり、作曲家自身が改訂したり、出版後に弟子に教えた時に鉛筆で音を直したりしている。

作曲家が本当に書きたかった楽譜は何か?

楽譜には、出版された楽譜があり、手書きの楽譜も発見されたり、信頼できる弟子が写譜していたり、作曲家自身が書き直したり、いろいろな版が存在する。時期や信頼性などを総合して、どれが最も作曲者の意図に叶うものなのかと考慮する。原典版をめぐる話は、それはそれだけで長い話になってしまう。

バッハは、鍵盤曲「パルティータ1番」を1726年に出版したのが最初で、その後2番から6番までをおよそ1年ごとに出版した。これは、バッハ自身による「自費出版」であった。表紙にも「In Verlegung des Autoris(作者による刊行)」と記された。

楽譜は、長い時を越えて、後世に伝わるものだ。本や戯曲や絵画や彫刻や建築のように残るべく残していきたいもの。バッハもベートーヴェンもモーツァルトも後世に残るものを作ろうとしていたと思う。

バッハは、平均律曲集を全12音の長調と短調で24の調性で1集と2集を作った。ベートーヴェンはピアノソナタをヨーロッパの吉数の32曲作り、楽章の数はぴたり100楽章だ。

ヘンデルの鍵盤曲は大人気で手書きの写本が出回っていたらしい。ある出版社(ジョン・ウォルシュ)がヘンデルに無断で海賊版を販売しようとしていると聞き、ヘンデルは大激怒して1720年に自分からロンドンの出版商(リチャード・メイズ)に働きかけて出版したそうだ。

演奏者が解釈して感性を発揮する元になるのが楽譜だ

プロのピアニストは、自身の解釈や感性で演奏するため、演奏家ごとに異なる演奏が生まれる。同じ楽譜から、同種の楽器で弾いても、音色も曲の雰囲気も様々で、全く異なる印象を受ける。まさに、これが楽しいのである。

音楽の楽譜は、演劇で言えば戯曲に近い。でも同じではない。演劇を見る人は、戯曲も読んでいるかもしれないが、読んでない人もたくさんいる。それはちょっと楽譜にも似ているけれど、楽譜をただ読むだけで楽しむ目的の人はあまり多くはない。演奏するために楽譜を見る人が多い、という点が異なる。

シェークスピアの戯曲を読む人が皆、声に出して読むわけではない。でも声を出すことを前提に書かれている。書かれたセリフは、一字一句そのまま読まれる想定で書かれている。あるシェークスピア俳優によれば、シェークスピアの言葉を伝えるために演ずるのだそうだ。

楽譜は演奏できなくても楽しい

楽譜は、演奏する人だけが見るものではない。演奏できなくても、聞きながら目で追って読んでも良いし、楽譜だけを読んで頭の中で音楽を響かせても良い。ちょっと楽器を触る人は、楽譜を見るとどうしても音を出してみたくなる。

プロの演奏は、その人のその時点での完成形なので、洗練されているし、何らかの良さ、美しさや気持ち良さや、さまざまな感情などを伝えようとしている。音楽を伝えようとしているけれども、一音一音を聞きとれるように演奏しているわけでは決してない。

録音では作曲家が指定した全ての音が聞こえない

プロの様に弾けなくても楽器を触って音を出してみれば、「気が付かなったが、ここに対旋律があったのだなあ」、とか、「この和音は半音や長七度が重なって不協和だけれどもあまり気付かなかったなあ」、などと気づくことがよくある。

ここではピアノの話ばかりだが、オーケストラ・スコア(オーケストラの全楽器のパートが一望できる楽譜;その大きいものを指揮者が使っている)を見ながら、オーケストラ曲を聞くのはとても楽しいものだ。聞こえない音がたくさんあることに驚く。前に出てこない音でも、裏では音色や音の厚みなどに働いているのである。

作曲家は、苦心をして楽譜を書いており、どの音も必要があって書いているはずだ。録音では全ての音は聞き取れないが、楽譜を見て、作曲家の思いを感じながら聞いていると、作曲家により近い位置に近付けるような気がする。

作曲家は、演奏される音を想像しながら、元になる楽譜を書いているのだ。ベートーヴェンはピアノソナタ29番で当時のピアノでは出せない音を書いた。

楽譜はとても奧が深い

バッハの楽譜も奥が深くて、不思議なところで不思議なところまで長く音が伸びていたりする。これは録音だから聞こえないのか、静かなところで自分で生ピアノを弾けば聞こえるのか、チェンバロなら良いのか、いろいろと考えてみる。

これも静かな部屋で生ピアノで弾いてみればすぐに違いが分かることが多い。バッハの鍵盤曲では、音の長さが重要で、どこまで持続するのか、どこで切るのか、これらが重要な意味を持っている。

変なところで、ちょっとペダルを使ったり、途中で指を話してしまったりすると微妙な違いが出てくる。そういう楽譜に込めた細かな音作りというのは、プロのピアニストがいかに優れていても録音からはなかなか聞き取りにくい。演奏家は作曲家とはまた違う観点があり、別の目標があるのだと思う。

バッハがどんな風に弾いたのか誰も知らない

多くの演奏家や音楽学者や楽器職人やさまざまな人びとが、バッハの時代の楽器と演奏方法について研究しており、50年前と比べても実に多くのことが明らかにされた。ピッチのこと、古典調律のこと、楽器の構造のこと、弾き方のこと、など多岐に渡る。

当時どうだったのかも大切だけれど、今どういう風に弾きたいか、どんなバッハを聞きたいか、ということも重要である。

17世紀当時のことを思い描きながらも、現代の人間には想像には限界があり、今感じている美意識がある。どういう風に演奏しても良いのだけれど、楽譜から与えられるインスピレーションのようなものは今でも確かにあると思う。

バッハは、鍵盤曲では不協和音をうまいこと使う。さりげなく使うのである。同時に弾くと目立つが、タイミングをずらして音が鳴らされるとあまり気にならないものだ。バッハではこういうのが多い。2度や7度で鳴り続けていく音は、変化しながら次の不協和音と重なることもあるし、協和音に解決することもある。

対位法的な曲であれば、この旋律がこっちに動いた、この声部は逆に動いた、など、音の流れを追うのが楽しい。

楽譜には録音を聞く時には決して得られない楽しさがある

J.S.バッハのフランス組曲5番ト長調の6曲目ルーレ(Loure)では、7小節目から8小節目、15小節目から16小節目にかけて、バロックとは思えない複雑な和音進行が登場する。

現代人の耳からして不協和音ではないが、当時の人も特に不協和とは感じずにしゃれた和音だと思っただろう。7小節目では、ファ#、ソ、ラが同時に鳴る。15小節目ではラ、シ、ド、レが同時に鳴るのだけれど、ストーリーの持って行きようで上手いことさばけているのだ。

こういう職人的なところをバッハは見てもらいたかったと思うし、そんなちょっとトリッキーな音の運びが面白い。

演奏が速すぎて音を聞きとれない

ある作曲家の気に入った曲がある時に、多くのピアニストの演奏を聞いていて、特定のピアニストに辿り着くことがある。今まで聴いた中では一番良い演奏だ。耳の幸せもあるのだけれど、自分でも弾いてみたくなる。

最初はちょっと真似のようなこともしてみるが、修練も経験も骨格も異なるわけで、まねでは上手く行かないことがすぐに分かる。けれども、自分の指で手で体で弾いていると、録音ではない別の新しい生の音が鳴るわけで、そんな響きの中に新しい発見をすることがある。

プロだと高速で弾き抜けてしまう部分をゆっくり練習しながら弾いてみても、名曲は名曲だなあと思う。ショパンのエチュードとか、ものすごく早い演奏しか録音には無いので、楽器を触らない人はその高速のショパンしか知らないわけだ。熟達者の高速なショパンは速すぎてほとんど音が聞き取れない。これはとてももったいないことだ。

楽譜を介して作曲家と自分との二人だけの交歓がある

ところがゆっくり弾いても、和声とリズムの絶妙な作りを堪能できる。むしろゆっくり弾いた方がじっくり味わえて良いのではないかと思うような時もある。練習して速く弾けるようになっても、時々ゆっくり弾いてみる。ベートーヴェンもゆっくり弾くと、曲のエッセンスを感じ取ることができる。

楽譜と対する時は、自分と作曲家と一対一なので、存分に音楽を感じ取ることができるように思う。音符が正確に読めなくても音の高低は分かるようになっているし、リズムも大体分かるはず。

普段、音楽を聞くだけの人も、一度クラシック音楽の楽譜を買って眺めてみることを強く推奨します。

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