時代は刻々と移り変わり、世の中の人との接し方も気が付くと変化している。世代が入れ替わり、価値観が変化し、新しい技術が次々に登場して、コミュニケーションも大きく変化した。
世代間のギャップも存在するが、それだけではない。同じ世代であっても、価値観が多様化して複雑になっている。
様々なギャップはあるけれど・・
自分自身は何も変わっていないつもりでいても、世の中が変化しているので当然に社会と自分との関係性が変化する。社会と個人との関係性が変化すれば、個人はそれに合わせた対応に迫られることになる。
あまり人と接することのない仕事をしていたり、年齢が高くなって引退したり、社会との関りが少なくなってくると、世の中の変化は思いのほか速くて世の中と自分とのズレが出来てくる。
昔と今、アナログとデジタル、などキーワードはたくさんあるが、どちらが良いかという話では決してない。変わってしまったものは、現実として受け入れる必要がある。
ギャップを言い出したらきりがない。世界に目を向ければもっと大きな違いがある(文化や言語、宗教、生活習慣・・・)。
異なるところを受けれた上で、これからよりよくするためにどうしたら良いのかを考えていきたい。
変化する社会の中で
温暖化やそれに伴う様々な気候変動、ゴミや汚染物質等の環境問題、ITや通信技術の進歩など、過去には経験のないレベルで進行している。様々な権利やジェンダーの考え方、家族の在り方も大きく変化した。ハラスメントなどへのとらえ方も大きく変わった。
一般的には、年齢が高くなるほど、昔が良かったと思う傾向が強いと言われる。その一方で、現代のセンスで過去を思い返してみると、多くのハラスメントにあふれていて辛い気持ちになることもある。
それぞれの世代の人たちが生まれ育った世界は大きく異なっているのである。国や地域によっても状況は大きく異なる。自分の常識は、他の世代の人と容易には共有できない状況になっている。
これからどうしたら良くなるのか。
気になること
正解の無い時代
何かの意見を求められたような時に「これは、こうやらなきゃだめだ」とか決めつけたような言い方をする人がいる。「そんな当たり前だよ」とか「このくらいのことは常識だ」というような言い方をしても、常識を共有していない相手には全く響かない。
現代では、もはや何が正しいのかという正解自体が存在しないのではないか。法律に遵守していれば良いか? 法律を変えなければいけない状況もあるだろう。
言葉の意味も使い方も自由になってきている。流行語も大量に生産される。現代では正しいとされる語法や用法は、以前には誤用から始まったものもある。言葉が必要とされれば変化して生き残る。
過去に学校で習った知識、おそらくは正解の元となってきた知識をベースにして、あれは間違っているとか言えなくなった。言えるのは、自分の意見であって、「一つの意見として参考にしてください」という謙虚さが必要なのではないか。
共有できる言葉
社会には、様々な世代の人々がいる。言葉も違う。考え方も違う。そんな時代に共通に使えて、共有できる言葉があると良いと思う。
会話のスタートは挨拶だと思う。挨拶は会話のスタートであることが多い。ここでは上も下もなく対等に接するようにしたい。
25歳の人が「おはようございます」と挨拶すると、50歳が「ああ、おはよう」と応えるのでは何かおかしいと思う。
挨拶というのは会社の業務ではないので、上司とか部下とかはそもそも関係ない。社会人の礼儀として行うものなので、対等に行いたい。
ネガティブでなく提案的な・・・
「それはいいんだけど、ここから水が垂れないように気を付けて」とか、注意が多くて、肯定的に聞こえない。経験値やコツを教えたいという善意から出ていたにせよ、善意も経験値も伝わらない。
おおよそ肯定的な時ですら、「基本的には良いんだけど、ここは直さないとダメだな」という言い方をされると、ダメだと言われているような気になってしまう。
教養本に書いてあったことを引用すると、「とても良く出来ていますね。私から一つ提案ですけれど、ここを少し変えるとさらに良くなるかもと思います。検討してみてください。」のように言うのが良いそうである。と、言うのは簡単だけれど上手くできるかな。
Yes/Noを先に言う
Yes/Noが求められている質問に対して、Yes/Noを言わないでいきなり話し始める人がいる。Yes/Noはすぐ返すのが良さそうだ。
質問されたら、端的にYes/Noを示して、シンプルな補足を言うとスムーズだ。それから、相手の様子を見ながら、相手の求めている回答であったかどうか、あるいは別の回答が必要なのか、説明の追加が必要か、を確認していく。疑問があれば、に言葉で確認することも必要。
こういうのは実は若い人の方が得意であるように思う。
話を短くする
話が長いと言われたとすると、それは誉め言葉であることはない。
古い時代の無線通信などでは、送信ボタンを押して話して、送信ボタンを離すと受信になった。今のオンライン会議などでも言葉がかぶると誰の言葉か聞き取りにくくなる。
話の要点をまとめて簡潔に話して、相手にバトンを渡す。途中で会話を遮ったり、相手の言葉にかぶって話すとどうも具合が悪い。
こうやって簡潔に対話していると、AIが自動的に議事録を作ってくれるし、効率が良い。
話が脱線したら、ある程度で戻す。1対1でも、スピーチでも、コミュニケーションであるので、相手の様子をうかがいながら、不愉快にさせないよう気を配ることが大切だと思う。
冷静でいること
話していると感情的になることがある。感情的に怒ったりする人も多い。そんな中でも、冷静に対応することが大切だ。
感情的に怒る人と冷静に理詰めで説明する人がいたとして、あなたならどちらの人と一緒に仕事したいですか? どちらの人をリスペクトしますか?
自分もいつも冷静でいられるようでありたい。どうすれば出来るのかは明言できないが、多分そういう風に心がけるということなのか。
勝ち負けはない・論破しない
日常生活の中でという意味ですが、勝ち負けはないので、論破しなくて良い。その場ではどんどんと負けておいてよいと思うことにした。
誰かがあきらかに事実とは異なることを言っていたとする。そこで、自分が知っている情報から、このように考える方が合理的だと思うと意見出来れば良い。それを相手が納得しなくても、まずそれを伝えることである。
相手から自分の意見が否定されても別に何も構わない。社会の中で暮らしているので、人との会話があればそれを支える組織や集団がある。その中でいずれ納得がいくように解決されていくものだと思う。
多くの人が、誰かの意見と自分の意見を知った時に、自然と評価されていく。多くの人は、冷静で論理的な意見に賛同するだろう。
言葉遣いや心づもりで楽に生きられる
こうして過ごしていくと、周囲の人との関係がスムーズになって、結果生活が楽になると思う。そして楽しくもなる。本稿のまとめをすると、次のようになる。
正解の無い時代=多様性 何が正しいのかいつも考えないといけない。価値観は相対化されており、あることがある時ある状況で最善だったとしても、次は違うかもしれない。本当に頭を使うようになった。
共有できる言葉=平等 年齢や性別や人種、職業や宗教などあらゆるスライスが、優劣とは関係なく多様性の中で対等であり、よって人は平等である。その第一歩が「おはようございます」で、丁寧に言葉を使いたい。
ネガティブではなく提案的な・・・=前向き 自分のためか、他人のためか、は分からないが、突き詰めると、我々及び未来の人類のためになることを考えるということではないかと思う。
Yes/Noを先に言う・話を短くする=スムーズなコミュニケーション 情報に疲れているので、少しでもお互いに分かりやすくしようよ。
冷静でいること=論理的に自立 事実を組み合わせて推論するとか、フェイクの多い時代になったのか、フェイクが明るみに出るようになっただけなのか、とにかく人の意見を鵜呑みにせず自分で考えないといけない。自分で考えれば思想的に自由になれる。
勝ち負けはない・論破しない=戦わないこと 勝ち負けにこだわる必要が、それこそ論理的に存在するのであれば勝ちましょう。でも結論を急がなくても、急いで決着付けなくても良いこともたくさんあるので、それは意見は言ってそれで切り上げればよい。
ぜひ、ご参考にしてみてください。