自分が段々と中高年の域に入ってきたことで、人との接し方が少しずつ変化してきたように思う。世代が入れ替わり、価値観が変化し、新しい技術が次々に登場して、コミュニケーションも大きく変化した。世代間のギャップも存在するが、それだけではない。世代を越えた相互理解をもっと深めたい。(自分自身が陥らないよう、自戒の意味もあって書くことにする)
世代間のギャップはあるけれど・・
自分自身は何も変わっていないつもりでいても、世の中が変化しているので当然に社会と自分との関係性が変化する。社会と個人との関係性が変化すれば、個人はそれに合わせた対応に迫られることになる。
年齢が高くなり、仕事を引退する世代になってくると、社会との関りがだんだんと少なくなってくる。少し油断していると、世の中の変化が気が付かないうちに進んでおり、世の中と自分とのズレが出来てくる。
振り返れば、いつの時代にも、親の世代と若者世代との対立はあった。対立まで行かなくても、ズレやギャップはたくさんある。
昔と今、アナログとデジタル、などキーワードはたくさんあるが、どちらが良いかという話では決してない。変わってしまったものは、現実として受け入れる必要がある。
ギャップを言い出したらきりがない。世界に目を向ければもっと大きな違いがある(文化や言語、宗教、生活習慣・・・)。
異なるところを受けれた上で、これからよりよくするためにどうしたら良いのかを真面目に考えていきたい。
ギャップの対象とは
中高年という言葉も、シニアという言葉も、どちらもしっくりこない。最近、グランド世代という言葉も登場した。放送作家の小山薫堂氏が提唱している。グランド・ジェネレーションとか、略してグラジェネとも言うそうだ。
世代間のギャップを考えた時に、しっくりこないのには、理由がある。事実とは異なるが、仮に50歳未満と50歳以上の二つのグループ間でのギャップが起こっているのだすれば、例えば中高年世代と若手世代のように二分すればよいのだが、それでは上手く表現できない。
実際のギャップは、世代間の年齢差にあり、50歳の人にとっても80歳の人との付き合いには大きなギャップがある。90歳の大先輩からすれば50代後半になってもまだまだ若造と言われるのである。
つまり、50歳から見た80歳も、20歳から見た50歳も、旧世代に見えるわけで、傾向としては似通った特徴を持っている。その場合は、年上と年下との世代間ギャップが対象となるので、OlderとYoungerというネーミングで、世代間ギャップを相対的に位置付けて表現することとしたい。
変化する社会の中で
過去の方が良かったと思うことは頻繁にあるだろうか。一般的には、年齢が高くなるほど、昔が良かったと思う傾向が強い。しかし、逆に昔を知っているからこそ、昔はひどかったと思うことも多いようだ。単なる懐古趣味で過去が良かったというのはナンセンスで、変化したものはもう元の状態へは戻らない。
温暖化やそれに伴う様々な気候変動、ゴミや汚染物質等の環境問題、ITや通信技術の進歩など、過去には経験のないレベルで進行している。様々な権利やジェンダーの考え方、家族の在り方も大きく変化した。ハラスメントなどへのとらえ方も大きく変わった。
それぞれの世代の人たちが生まれ育った世界は大きく異なっているのである。国や地域によっても状況は大きく異なる。自分の常識は、他の世代の人と容易には共有できない状況になっている。
だから、どの地域で、どういう状況であったとしても、これからどうしたら良くなるのか、未来へ向けた思索をすることが大切だ。
Youngerから見たOlder:Olderの気になるところ
世代が離れている人たちと接するために気になるところをいくつか、自戒の意味も含めて列挙してみた。
俺が正しいという前提
何かの意見を求められたような時に「これは、こうやらなきゃだめだ」とか決めつけたような言い方をする人がいる。「そんな当たり前だよ」とか「このくらいのことは常識だ」というような言い方をしても、常識を共有していない相手には全く響かない。
その根底には、Olderが自分は正しいという前提で話していることが要因の一つではないかと思われる。仕事に関しても長い経験を持っており、それなりの成功体験もあるため、自分のやり方は有益だと信じているのである。
その経験値は有益であるとしても、成功体験を得た社会環境とは異なる状況にいる可能性もある。今までにない画期的な方法が埋もれているのを掘り出す妨げになる可能性もある。したがって、「一つの意見として参考にしてください」という謙虚さが必要なのではないか。
言葉遣いが偉そう
同じ職級の人同士でも年齢が離れているということは最近では珍しくない。課長が40歳で、部下が50歳、30歳、25歳、・・というようなケースだ。
30歳が朝「おはようございます」と挨拶すると、50歳が「ああ、おはよう」と答える。Olderには年長者だという思いがあるのかもしれないが、年功序列は崩れ去ったのだ。組織の中では対等である場合には、やはり「おはようございます」と応じるのが感じが良い。
そもそも、挨拶というのは会社の業務ではないので、上司とか部下とかはそもそも関係ない。社会人の礼儀として行うものなので、対等に行うべきだ。
また、飲食店などで注文する時に、特に行きつけの店でもないので、「俺、A定食。」のように注文する人がいる。若い人でもいるけれど。「〇〇をください」「〇〇でお願いします」となぜ言えないのか。これはOlderから見ても格好良くない。
ネガティブ
「それはいいんだけど、ここから水が垂れないように気を付けて」とか、注意が多くて、肯定的に聞こえない。老婆心というか、経験値があるので、コツをつかんでいることを教えたいという善意から出ているにもかかわらず、Youngerに伝わらないことが多い。
おおよそ肯定的な時ですら、「基本的には良いんだけど、ここは直さないとダメだな」という言い方をするので、Youngerはダメだと言われているような気になってしまう。
「全般的に良く出来ていますね。私から一つ提案ですけれど、ここを少し変えるとさらに良くなるかもと思います。検討してみてください。」と言えますか?
Yes/Noを言わない
Yes/Noが求められている質問に対して、Yes/Noを言わないでいきなり話し始める人がいる。質問ですら最後まで聞かないで、返事を話し始めることもよく見られる。
相手の話の途中で、割り込んできて、いきなり一方的に力説し始めたと思われる。Youngerが不快になるのは当然である。質問はちゃんと理解して答えているのか? 質問の回答はYesなのかNoなのか? 疑問は解消しないまま、YesかNoかどちらかの説明がされるのだから。
Olderにとっても不快ではある。しかしOlder同士だと、すぐに相手を遮って、答えはどっちなの? と異議申し立てができるし、そのようなやり取りにも慣れている。だからと言って、そのやり方が正しいわけではない。「俺が正しいという前提」ではいけない。
質問されたら、端的にYes/Noを示して、まずはシンプルな補足を1センテンスで言うとスムーズだ。それから、相手の様子を見ながら、相手の求めている回答であったかどうか、あるいは別の回答が必要なのか、説明の追加が必要か、を把握するべし。見て変わらなければ、すぐに言葉で確認する必要がある。
「はい、おっしゃる通りです。〇〇が〇〇であるためです。」「ご質問の回答になっていますでしょうか?」というフレーズは、Youngerにとってはごく自然だ。
話が長い
話が長いのもOlderの特徴である。
本人は、特に自慢話をしているつもりはないのだけれど、長く生きていると辛い話をどんどんと忘れて行くので楽しい話だけが残ってくるものである。辛いことばかり覚えていても仕方がない、というのも道理である。
話していると楽しくなって言葉がどんどん出てくる、という幸せな人である証拠だから好きなだけ話せば良いとも言える。だけれども、話が長いとYoungerから支持を得られなくなる。
また自分が話した言葉から連想を得て、話が脱線していくとさらに話が長くなってしまうので、これも気を付けたい。
とにかく、1対1でも、スピーチでも、コミュニケーションであるので、相手の様子をうかがいながら、不愉快にさせないよう気を配ることが大切だと思う。
表情が乏しい
普通にしているのに、不機嫌であるように見える人がいる。表情筋が衰えていくものなので本人に悪気があるわけでは全くないのであるが、他の人からは怒っているか、不機嫌であるかのように見えてしまう。
両頬が下がってくるからだろう。意図的に笑わないといけない。笑う練習をすると、免疫力も上がり、若返るので、一挙両得である。
話す内容にもよるが、対面ではもちろん、リモートでPCのカメラ越しであっても、きちんと意識して表情を作らないといけない。不機嫌な顔はもはや練習する必要はないので、にっこりの練習をしておくと良いだろう。
SNSやメールを軽視する
メールやSNSを軽視する人がかなり多い。さらにメールやSNSは無礼だとみなす人もかなりの比率で存在する。
大事なことは直接話せ、とか、何で重要なことをメールで送ってくるんだ、と怒るのはもはや完全に時代錯誤と言えよう。
メールやグループウェア、SNS無くしては、現代社会のさまざまな仕組みが成り立たない。会社ではチームのコミュニケーションが成り立たない。
メールの問題は、発信した後に、相手がちゃんと受信したか確かめる以前に、相手に伝えた気になってしまうことだ。既読になっただけではまだ確かではない。読んだよという返信が来て、そこで初めて伝達が完了するわけだ。これは間違っていない。
Youngerほど、メッセージをすぐに受信して既読にしないといけないと感じている人が多いようだ。メールやSNSをチェックするのもマナーの一つと考える人もいる。インターネットやSNSが身近であるので、コミュニケーションの重要な手段であることは間違いない。
OlderはメールやSNSを軽視していると、時代に逆行するだけで得るものが少ない。Youngerが大切と考えているものに対しては、相応のリスペクトを与えることが大切であり、これも礼儀だと思う。
人をぼーっと見る
電車に座って目の前の人をじっと見ている人が時々いる。じろじろと見るというわけではない。ぼーっと見る感じである。後期高齢者に多いようだ。
何を見ているのか、何でじっと見つめているのか。見つめられる側になった時には、これは居心地が悪く、大変に不愉快な気持ちになる。
見ず知らずの人の顔をじっと見ることが失礼だということを知らないはずはないと思うが、もうそういう意識がないのか。あるいは、目は開いているが、脳は全く別のところに向いているのかもしれない。
さほど高齢でなくてもこういうことはしばしば起こることで、考え事や悩み事などに思いを馳せていると、目は開いているけれども何も見ていないということがある。ちょっと疲れた時とかになるという人もいる。
いずれにしても、前に人がいるところでは、気持ちを引き締めて視線が緩まないように気を付けたい。
全体として言えることは・・・
ここに挙げたポイントは私や皆さんが無意識のうちにやっていて気が付かないことがあるので、気付くことを目的に列挙した。もちろん、他にもいろいろと不快にさせるポイントはあるはずだ。
ただし、これらポイントに自覚がある人は、おそらく他の人を不愉快にさせてはいないだろうと思う。また、そもそも他人を不愉快にさせない、気持のよい、感じの良い中高年の人は、たくさんいるのである。
要するに、自分よりずっと若いからとか、ずっと年上だから、という観点で区別や評価をしないようにして、相手と対等に、そして相手を理解しようとして、好意を持って向き合うようにすれば良いということだと考える。
たとえ両者に違いがあったとしても、それを理解しようとして接するようにすれば、対立するようなことは起こらないと思う。