今日、アゲハチョウにすれ違った。
アゲハチョウは、僕のすぐ近くを飛び、頭と肩と腕すれすれに何度か飛び回った。僕の体から10cmと離れていない距離に接近したまま、僕の方や腕の近くをまとわりつくように飛んで、しかも、どこも触れることなく、しばらくして去って行った。
何か、花の蜜のような匂いが付いていたということはないと思う。蝶は、人に近寄ってくることもないが、さーっと逃げるわけでもない。おおよそ、虫にまとわりつかれると煩わしいものである。しかし、蝶が人に接する距離感はちょうど具合が良い。
チョウ(蝶)は、ひらひらとめちゃくちゃに飛んでいるように見えるかもしれないが、本当はとても飛ぶのが上手な昆虫なのである。
それは最近やっと知ったのだが、今まで知らなかった。そんなことは誰からも教わらなかった。
蝶は、草が密集して生えた中を飛んでいくことができる。あれだけ翅(はね)が大きいので、細かい枝の鬱蒼と茂った中に飛んでいくのは、何だかとても無謀な感じがするのである。
ましてや、強い風が吹いたりすると、蝶の大きな羽根は風の影響を強く受けてしまうだろうと思うし、草自体も風の影響でふらふらと揺れていて、そのような超絶に困難な3D環境を平然と切り抜けていくのである。
なんと蝶の美しいこと。
よく蝶を見てみると、確かに蝶はとても飛ぶのが上手いことがわかる。子供の時に理科の先生が、蝶は飛ぶのが下手であるかのようなことを話していた。羽が大きすぎてまっすぐ飛べないというような内容だった。そもそも上手い、下手というのはどういうことなのか。
トンボは効率よくものすごく速く飛ぶことができるのであるが、蝶は速くは飛べないように見える。ひらひらしていて、まっすぐ飛ばないからだ。つまり、速く飛べることが、理科の先生的には「飛ぶのが上手い」ということになるようだ。
ところが、蝶を見ていると、右へ左へ、ふらふら、ふらふら、上下左右へ、ふらふら、ふらふら、と。蝶は、そんな感じに飛びたいから、そういう風に飛んでいるのであって、トンボみたいに飛べないからそのように飛んでいないわけではないのである。
フラフラと飛んでいくのは、蝶の餌の探し方に起因するもので、草や花を丹念に見て回っているので、そのような飛び方になるようである。つまり、まっすぐ飛ぼうとしてふらふらしてしまったのではなく、ふらふらと飛ぼうとしてふらふら飛んでいるのである。
その証拠に、蝶はモンシロチョウもアゲハチョウもどちらも、かなり風が強い日でも、草や木の枝には決してぶつかることなく、きれいに通り抜けていく。ものすごいコントロールの力であると思う。
街の中にも、蝶がよく通り抜ける「トンネル」があるようだ。今の家に越して来る頃の初夏にアゲハチョウが飛び抜けて行ったところが、そこは普通の道路の上なのだけれど、どうやらよく蝶が飛びぬけていく場所のように思われる。
今でも時々そこに行って蝶が飛んでいるのを眺める。東京の蝶はどれだけ減ったのかは分からない。それでも、蝶がたくさん住めるように、たくさんの木を植えて、育てていく必要がある。
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