「バロックの曲はなぜ半音低いの?」と子供が質問するので、昔は半音低かったんだよと簡単に答えてしまいそうになるのだけど、それは本当なのだろうか。
なぜ半音低かったのか。全音ではないのか。いや、そもそも、バロックの時代のピッチというのは、そんなきちっとしたものだったのか。
というわけで、ちょっと調べて、まとめておこうと思う。
バロックピッチと言ってもいろいろ
現代のバロック演奏では415Hzのピッチを使うことが多くなった。これはとても良いことだ。しかし、バロックの全てが415Hzというわけではない。
一口にバロックと言っても範囲は広くて、地域により時代により、あるいは編成や場所によりさまざまだったはずだ。バロックの時代に、イタリアもフランスもドイツもぴったり同じピッチだったら、逆に不思議な気がする。隣の国のピッチなんてなかなか分かるものではない。
ヘンデルのピッチは420Hzと言われる。それは当時のフルートから類推されたものだ。管楽器は管の長さで大体のピッチが分かるのである。とはいえ、この420Hzが一般的だったかどうかは確かではない。バロックより新しいが、モーツァルトは421.6Hzの音叉を持っていたそうだ。(→クラシック音楽の作曲家年表)
フランスのバロックでは440Hzより全音も低い392Hzくらいのピッチも使われていたようである。
バロックからは離れるが、日本の三味線は、歌い手の声の調子に合わせて、ちょうど具合の良いところでピッチを決めるという。早い話が、容易にピッチが変えられる楽器を使えば、ヴォーカルが入ったとしても、自分たちの良いと思うところで自由にピッチを決めることができる。
現代のバンドでも、ギターの弦を半音下げて、音色を少しだるい感じにすることもある。そもそもギターの調弦方法は一つでは無いので、半音や全音上げ下げすることがある。ピアノや他の楽器と調和と取れれば問題はない。
さて、ピッチというのも、他の楽器や声と合わせるからこそ、基準が必要になるわけである。楽器が増えてくると、ピッチが社会的な意味を持ってくる。練習と本番で毎回ピッチが大きく変わったら、歌えるものも歌えなくなってしまう。管楽器や弦楽器も同じだ。
楽器を吹く人が足りなくなったりした時に、隣町から呼んできたらピッチが合わないと困ってしまう。演奏家の活動範囲が広くなるにつれて、より広い範囲で共通なピッチが求められることになる。
一番調律が大変なのはオルガンであるが、教会のオルガンも地域によってピッチは異なり、また時代的にも一定していなかったようである。
さて、いろいろなピッチがあるのだが、おおよそ次のようにまとまってきた。
バロックと古典派の代表的なピッチ
- カンマートーン(Kammerton):415Hz。440Hzから半音低い。Kammerは室内という意味で、室内楽で使われる。ドイツ・バロック音楽で使われることが多い。これはちょうど440Hzよりも半音低いピッチである。いざという時にオルガンや鍵盤楽器などが対応しやすいので便利であろう。
- ティーフカンマートーン(Tiefkammerton):392Hz。440Hzから全音低い。フレンチ・バロックの演奏によく用いられ、「フレンチ・ピッチ」「ヴェルサイユ・ピッチ」ともいう。これは440Hzのちょうど全音低いピッチだ。
- コーアトーン(Chorton):466Hz。440Hzよりも半音高い。教会や屋外で用いられたという。
- 古典派ピッチ:430Hz。「ウィーン・ピッチ」「モーツァルト・ピッチ」ともいう。微妙だが、計算すると440Hzよりも39.8セント低い。(注:100セントが1半音である)
次に、重要な出来事を列挙。
- 音叉の発明:1711年、イギリスのジョン・ショア (John Shore) がリュートの調律のために音叉を発明した。これが世界に普及していくことになる。
これは画期的なことで、ピッチが容易に持ち運べるようになったのだ。 - 1834年にシュトゥットガルト会議。管弦楽における基準ピッチを440Hzに。440Hzは公式ピッチとしては一番長い間通用している。
- 1859年のパリ会議では435Hzが統一宣言。ちょっと下がった。あれ不思議。
- 1885年のウィーン会議でも435Hzと決議。435Hzを追認する形になった。ピッチが低いと歌手が曲の盛り上がりで声が出ないということがなくなるのだ。最低音が出なくても何とかなるということだ。
- 1939年にロンドンで行われた国際会議で、再び440Hzとされた。
- 日本では1948年に440Hzを導入。(日本ではその直前は435Hzだった)
いつの頃からか、ピッチを周波数で言えるようになった。総じて、ピッチは時代を経てどんどんと上がっていくことになる。
(ここでのテーマではないが、ちょっとだけ言うと、ストラディバリは現存するほとんどは150年以上前に改造されていて、ネックがより大きく反るように付け替えられている。ネックの反りを大きくして、駒を高くすると、弦の張力を強くできる。こうして一層大きな音を出せるようにしたのだ。バロックの楽器であったものが、現代の楽器に改造されている。わずかに残っているオリジナルのバロックバイオリンのやわらかくて艶のある音はとても心地よい。)
なぜ415Hzなのか、ひとことで言えば、便利だということ
ショパンやベートーベンの時代のピアノが演奏で使われることは今では滅多にない。弾ける状態の楽器も少ないし、当時の楽器を扱える(弾ける)人も少ない。
ましてやバッハの時代のチェンバロは、ほとんど博物館か貴族のお屋敷にあって、しかも弾ける楽器はほとんどない。これもまあ仕方のないことだ。
従って、チェンバロも現代の作者がレプリカとして作っているわけだ。ピアノは現代の感性にフィットするよう、どんどんと技術改良が加えられてきた。グランドピアノはますます巨大化し、大音量マシンになってきた。それに対して、チェンバロの世界では、新しくしようとはしていなくて、当時のチェンバロの響きをより美しく再現することを目指している。
ただし一点、現代のチェンバロにはオリジナルにはない改良がある。一部のチェンバロでは、鍵盤を外して、右あるいは左に1鍵ずつずらして行き、この簡単な仕組みで半音移調できるようになっている。
バロックを演奏する時、いつも全て他の楽器がバロックのピッチに対応できるわけではない。かといってチェンバロの調律は簡単には変えられない。
こういう時にちょうど半音の差があることで、とても便利になる。
その場合にも調律はやり直さないければいけないのだけれど。というのは、バッハの平均律が弾けるようになったあの全ての調が弾けるヴェルクマイスター調律も、古典調律だから、不均等調律なのである。
とはいえ、半音を上げ下げするような無茶な調律はしなくて済むようになるというわけなのだ。
このように考えてくると、415Hzとなったのはチェンバロのためだと言ってほぼ間違いがない。
関連記事:
・「オルガンの調律について」
・「平均律と古典調律とは何か?」
・「クラシック音楽の作曲家年表」
はじめまして。
私は神奈川でハープをやっていますが、とあることからバロックのピッチやベルサイユのピッチを調べていて、このページにたどり着きました。
バロックだけでなく、古い時代の調律についても、大変詳しく科学的な数値なども書かれていて、とても勉強になりました。
まだまだ、色々知りたいことがあるので、他の掲載コーナーもこれからゆっくり読ませていただきます。
取り急ぎ、一言お礼とご挨拶まで・・・・・。
八木健一様
コメントをいただきありがとうございます。
また何かご要望がございましたら、メッセージを入れていただければと思います。