ヴァイオリンには魂柱というものがついている。表の板と裏の板の間に、つまり本体の中に入っている、細長い円筒状の木の柱だ。
次の写真で、f字孔の奥に見える細い棒が魂柱である。
ヴァイオリンだけではなくて、ヴィオラにもチェロにもコントラバスにも付いている。駒の真下ではなく、少しずれたところにあり、接着されてはおらず、適度な圧力で止まっている。
日本語のWikipediaでは「魂柱」の読み方として「こんちゅう、たまばしら」と書いてあるが、チェロを弾き始めてから40年経つが「たまばしら」と言う人に一度も会ったことはない。演奏家やヴァイオリン製作職人から聞いたこともない。これは明らかな間違いではなかろうか。古い時代に「たまばしら」と呼んだという記録も見つからない。
「たまばしら」と言ったら、今では「鬼滅の刃の玉柱」のことではないか。知りうる限り、魂柱を「たまばしら」と読むことはない。
「魂柱」の魂
魂柱という言葉は不思議である。なぜ魂なのだろう。ヴァイオリンの毛替えをするのに楽器屋に向かっている時に、一緒に車に乗っていた長男が「魂柱って魂なんだね」と言う。
そう言えば、なぜなのだろう? そこでちょっと調べてみた。
英語ではsound postという。日本語でサウンドポストということもある。音の柱という意味である。postにはゴールポストのように柱という意味がある。
ドイツ語では、Stimmstock(シュティムシュトック)という。意味は、声の棒、音の棒といったような意味だ。Stimは音、Stockは棒のことで、スキーのストックから連想しやすい。
フランス語では、âme(アーム)という。これは、第一の意味に魂という意味がある。「1) 魂;精神,心;情,感情 2) 人;住民 3) 中枢;精髄;指導者,中心人物 4)コードの芯;心線」のように様々な意味がある。
イタリア語では、anima(アニマ)という。イタリア語のanimaは、フランス語のâmeとほぼ同様の意味群をなしている。言葉の成り立ちとしてはイタリア語の方が元となっているようだ。
魂柱の由来
イタリア語とフランス語の魂柱には、魂という意味があるけれども、同時に「中心」とか「心(要となるもの)」という意味がある。漢字文化では「心」から物理的なものを切り分けて、「芯」という言葉で表現する。
ドイツ語のStimmstockには、魂というニュアンスはあまりないようだ。英語のsound postにも魂という意味は全くない。
一方で、イタリア、フランスでは、円柱や棒というような物質的な表現がなく、「魂=心=芯」という、重要性を訴える表現になっている。
そして、日本語では、イタリア・フランス系の「魂」という意味がメインになって、そこにドイツ・イギリス系の「音の柱」という意味を、合体させて、「魂の柱」と名付けたことになる。
いつ、どのような経緯で「魂柱」というようになったのか、さらに調べていきたいと思う。economyを福沢諭吉が訳したように、誰かが訳したはずである。
魂はもっとある・・?
ドイツでは今は、Stimmstock「音の棒」が一般的であるが、Seele(ゼーレ)「魂、心、精神、霊魂」という言い方もあるようである。ただし、Seeleというだけでは、何のことか分からないので、「ヴァイオリンのSeele」のように限定する必要がある。
ゼーレというと、日本ではどちらかというと、アニメ・漫画の「新世紀エヴァンゲリオン」で「人類補完計画」を進めている秘密結社の名前として知られているかもしれない。
さらに調べていくと、スペイン語では、alma(アルマ)という。almaは、魂、心、精神、霊魂、熱情、中心、柱、コア、などの意味がある。
almaは、フランス語のâme(アーム)と非常に近い意味である。ヨーロッパでは、ヴァイオリンの生まれたイタリアと周辺の南側の国では、「魂」という意味を含んでいるケースが多い。ラテン語系統の、いわば言語系統論的な理由であろうと思われる。
日本で最初のヴァイオリン
日本で最初のヴァイオリンは、東京都江東区、深川の三味線職人の松永定次郎が製作したものだと言われている。製作したのは、1880年だという。
明治に入って、急速に外国の文化を取り入れようとしていた時代、安藤幸はドイツの名ヴァイオリニスト・ヨアヒムに師事した。日本の演奏家のレベルも上がっていく中で、松永はニコライ堂の外国人ヴァイオリニストの楽器を模して作成した。
それでは、ヴァイオリンが、日本に最初に入ったのはいつなのか。一番確からしいのは、イエズス会(フランシスコ・ザビエルが属していた)が日本に西洋楽器を持ち込んだという。
イエズス会の報告書に「1591年(天正9年)に、織田信長がクラヴォとヴィオラの演奏を聴いて喜んだ」という記述がある。クラヴォというのは、チェンバロに似た鍵盤楽器だという。
ヴィオラというのは、ヴァイオリンではなくて、ヴィオラ・ダルコ、つまりヴィオラ・ダ・ガンバである可能性が高い。膝の上に置いて、チェロのようにして弾く。肩に載せて弾く、ヴァイオリンが入ったのは、それ以降のことであるようだ。