肉じゃがと「昭和の女子力」〜ライバルはビーフストロノガフ?

肉じゃがは「昭和の女子力」の象徴

「肉じゃが」はとても美味しい料理である。この「肉じゃが」という料理は昭和の終わり頃には、女子力のパターンを象徴的に示す代表料理として活躍したことがあった。

実際のところ、昭和の感性を思い出しながら言うと「肉じゃがを作れる人」と「肉じゃがを作れない人」という区分があった。これは今風に言えば、女子力の高さを訴えたものであろう。

「男は肉じゃがを作れる女に弱い」という都市伝説があって、当時はかなり普通に信じられていたと思う。

食品業界のテレビコマーシャルで「私作る人、僕食べる人」というのがあって、これが男女差別の観点で問題になった。作る人が女性で、食べる人が男性だった。インスタントラーメンの宣伝で1975年頃であったろうか。「ハウスシャンメンしょうゆ味」のCMだった。

家事とジェンダーの課題

今、思うに、男女の格差があった時代に見ると男女差別に見えるであろうが、もしも男女差別が完全になくなった時代にこのCMを見たら単なる役割分担に見えるのではないかな。今日は食べる人だけど、明日は作る人、みたいな。それならば問題ないのだが。

人権意識は今では少しは改善されているのだろうと思うが、どうなのか。肉じゃがとは直接的に関係のない話題になってしまった。

とは言うものの、肉じゃがというのは昭和に普及した比較的新しい料理であるのにもかかわらず、古くからある「おふくろの味」(もう死語か?)を代表するものであった。

時代的にはちゃぶ台と歴史がかぶるのではないか。ちゃぶ台にのせられる料理の中では、肉じゃがは強い香りと塩分を有しており、高い栄養価を作り出すことが可能なパワー・メニューである。

昭和における煮物と肉じゃがの関係

あるいは、和風の煮物でありながら肉が入っているという、ただその一点においてさえ、育ち盛りから青年期の男たちの人気を得て、昭和中期の庶民の夕食メニューの中ではひときわ高い得点を叩き出していたのだ。

このような肉じゃがの力が、社会幻想としての大きな力を持つに至り、それを巧みに作り、絶妙なタイミングで提供することが男たちを操作し、さらには社会を操作することにつながるということになり、それをして女子力の強化とは社会コントロールであるということになり、ある種の野望の道具となったと考えることもできる。

(と考えた時に、「なぜ肉豆腐ではダメだったのか?」という強い疑問が湧いてくるが、それはまた別のおはなし・・・)

ライバルはビーフストロガノフ

それが1980年代に、今までの「肉じゃが女子」に対して、「ビーフストロガノフ女子」という世代が現れた。肉じゃがは古臭くて、ビーフストロガノフが新しいということらしい。

当時も今も、家庭料理としてビーフストロガノフを食べたことのある人はほとんどいなかったと思う。にもかかわらず、昭和の後期には未婚の女性が結婚しようと思う男に作る手料理としてかなりの高出現率となった。

肉じゃがの目的は、仕事に疲れた男が夜にビールを飲んで肉とジャガイモ、人参、玉ねぎを食べて(基本は醤油味で味醂も入っていて甘いのだ)、「ああ、やっぱりほっとするなあ」と温かみを感じることである。温かみを感じた時に近くにいた人に恋をするという基本的な公式に則っている。

それが、何だか分からないけれど、ビーフストロガノフがそれに対抗してきたので、不思議な時代であった。

肉じゃがはミックジャガーと1文字違いで、Nick Jaggerと綴ることができるので、これもパワー料理であることは間違いない。最後はダジャレだ。

 

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