日本ではメディアへの信頼度が高いと言われている。新聞やテレビのニュースへの信頼度も総じて高い。NHKのニュースは一番信頼できると思っている日本人は多いはずだ。
でも、本当にそうなのだろうか。ニュースソースは明かされないことがある。記者個人の力で情報を得ることもある。ジャーナリストとしてのプライドで動いているのならまだ良い。政府や企業の声に影響されていないと言えるのか。
「街の声」と称して、視聴者の声をニュースで流す際にも意図的な選別をすることは可能だ。そうであれば、特定の立場の意見を代表するコメントを多数派のように報道すれば、印象操作が可能になる。
「オスプレイが不時着して大破した事故」(2016年12月13日)というのもよく分からない。不時着とは目的地以外のところに緊急に着陸することであるが、不時着だとしても大破しているのならば墜落ではないかと思う。
「不時着」という言葉のニュアンスが問題になるのであるが、日本語の意味を確認してみると、不時着とは、「航空機が、故障や燃料欠乏等のため、初めに予定しなかった場所に降りること」である。
言葉の問題かもしれないが、「大破した」のであれば、普通に「墜落した」と表現しても良いのに、この時のNHKの報道では一貫して「不時着して大破した」と言っていた。別に間違いではない。
英語では、不時着のことを forced landing あるいは crash-landing という。
どちらも日本語の「不時着」に相当する言葉であるが、forced landingでは「強制的に着陸させられる」の意味も含まれる。一方、crash-landingでは「破損を覚悟で胴体着陸をする」という危険度の高いニュアンスがある。
こんなことでも報道が統制されているのか、あるいは報道機関が自主的に従っているのか。役所から下りてきた文面をそのまま報道しているのか。
日本の報道メディアに対する日本人の信頼度は高い。海外と比べるとかなり高いのである。嘘や間違いが比較的少ないと日本人には評価されているようである。
実際に信頼に足る成績であれば良いのだが、必ずしもそうとは言えない。日本人が現実を知らずに、ただ信じて安心しているという可能性も大いにある。それはとても危険だ。
政府が「報道機関に協力を求めた」という形で提供した情報が、メディアを通じてそのまま流れると、それを聞いた人々は事実と思ってしまう。嘘を見抜けない人が多いのだ。
海外のニュースは国際的な情報が多いので、日本語に翻訳されていない元のままのニュースを見るのが良い。そうすると結構表現が異なっていることがわかる。そして、内容には大きな違いがなくても、ニュースのジャンルの割合が異なることに気がつく場合もある。
海外では、BBCやCNNでは環境問題の事件でニュースが大量に流れている時に、日本ではごく簡単に流れて終わっていたりする。これが社会に対する意識の違いとなってくるのだろう。
2019年11月、追記。
2019年になると皇室関係のニュースが大変に多い。行事が多いからである。行事が多いのは良いけれども、「皇后様を拝見して、涙が出ました」とか「言葉にできない大切な経験です」とかNHKのニュースでよく報道される。
それは一つの事象として事実なのだろうけれども、全体として社会はどういう状況なのか、公平に報道できているのだろうか。皇室に反対の立場の人もいるだろうし、実際のところわざわざパレードに参加しない人が圧倒的多数派であるわけだ。
長期化した与党政権の影響が様々な局面に影響を与えているのではないかと危惧している。