医師と看護師の仕事は違います!

病気になったり、具合が悪くなると、お医者さんに行くことになるわけだが、そういう時は気も弱っている。また、いろいろなことに気が巡って行って、どうして良いか分からなくなったりしていることが多い。

患者はどうしたら良いのか分からない

ものすごく痛いとか、ものすごく苦しいとかいう場合は、医者に行くと、検査をしたり、診察をしてもらえる。例えば、足の指が強く痛んで、整形外科に行くと、「じゃあ、まずレントゲンを撮ってみましょう」ということになる。相当痛くても、骨折などの重症ではないこともある。

整形外科の医者は、骨に異常がないと、もはや原因を突き止めることはできないので、実効性がある根本的な治療方法については、もう何も思いつかない。整形外科のレントゲンは、筋肉の状態が写るようにはなっていない。そこで、すぐさま根本的な治療は断念することになる。

次に、対症療法に移って、「痛みを抑えましょう」ということになり、外用の湿布を処方するか、内服の痛み止めを出すかを患者と相談することになる。骨が折れていたり、骨粗鬆症だったりすれば、医師としてそれなりの治療を施すことができたり、治療ができなくても相応の指導ができたりする。

患者側からすれば、好きで医者にかかっているわけではなく、止むを得ず医師を訪問しているのである。医師側からすれば、特別の資格を持った人しか出来ない医学的な技を患者に対して施すことで、患者を助けているのである。

根本的な治療ができるケースは多くはない

「痛みを抑えましょう」という辺りで患者が、「ああ、治す方法がとりあえず見つからないから、対症療法で対応するんだな」と理解できれば良いけれど、実際のところ患者からすれば本当の原因が全く分からないので、不安が全く解消されないままである。本当は別の病気なのではないか、診療科が違うから医師も分からないのではないか、などと心配してしまう。

一方、医者からすると、もともと大半の痛みの原因とは分からないものなので、分からなくても普通であって、痛みを幾らかでも抑えられれば良いではないかと、職業的に考えることになる。ここにギャップがある。患者は不安を解消できないまま、医者と患者の意識の溝が深まっていくことにもなりかねない。

医者は、治療することが仕事なので、骨折であれば骨をつなぐための処置を行うことになる。骨折は明らかに病的な状態ということなので、治療の対象になる。あるいは、生活に支障を来たすほどの激しい痛みということであれば、それも「病的」ということになる。

医者の仕事は治療ですが・・・

ところが、「骨折はしていないが、痛みは結構強い。私生活には決して十分とは言えないが、かろうじて社会生活は可能である」というレベルになると、医者はもう診てくれないし、病気とは扱ってくれない。それはもう掌を返したように冷たい態度になる。

「痛み止めを2週間分出しますので、しばらく様子を見てみましょう!」

という時の、医師の本音としては、(そんな大したことないんだから、弱虫みたいにぴーぴー騒がないで、静かにしなさい!)という感じである。

「痛み止めを継続する」というのは、医者としては全く治療していないということと同じだ。医者としても、治療ができないことに憤りがあるような正義のケースも稀にはあるだろう。原則、医師は患者の命を守るという目的には、偽りはない。ただ、命にかかわらないレベルの時は、あまり熱心ではないことがある、ということだ。それも当たり前と言える。

そこで、「医者にかかる時は、痛みのレベルを5割増しで訴えるようにせよ」などという生活訓が年配者によって語られ、社会的にもそのような風潮が正当化されるような事象が発生する。(効果があった、という主観的な報告である)

繰り返すと、これは医者が冷たいからしていることではなくて、医者の仕事は、そもそも「治療」なのである。治療というのは、診断して治療計画を立て、それを実践するか、あるいは他者に実践させるのである。

医者のつとめとは、第一に、患者の命を守ることである。第二に、患者の寿命を伸ばすことである。以上。That’s all. 「生活の質を向上させる」ことも目的だと言うこともあるけれどもまだまだ一般的とは言えない。

医者の仕事は治療だけ!

少し極端に言うと、これは重要で、しかも同じことなのだけれど、医者の仕事は治療であることは、誰もが知っているだろうけれど、決してそれ以上ではなくて、実は医者の仕事は治療だけだということなのである。

骨折した時に、その原因が判明して、治療方法を決めることができたとすると、処置に進む。処置は、医者と看護師が協同して行うこともある。検査技師や理学療法士など、他の医療従事者が加わることもある。

そして重要なことは、この時点でもう医者の仕事は99%終わっているのである。それから、強くはないちょっとした痛みがあるとか、かゆいとか、だるいとか、そういう問題が発生しても、基本的に医者はそういう訴えには無関心である。それが何らかの病気の兆候である可能性があれば別だが、そうでなければ無関心にならざるを得ない。

それが、患者からすると冷たい医師だったり、医師のプライドと思われてしまうことがある。医師が冷淡だというのは、大体において病気でも何でもない時が多いようで、本音としては「あまり小さいことを気にせずにしっかりしなさい」的なメッセージであることが多いと思われる。

一方で、古いタイプの医師とは異なり、コミュニケーション能力の高い医者もいる。彼らは、温かな笑みを浮かべたり、心優しい言葉をかけたりすることができる。もちろん、このようなことができる医師は極めて稀である。

医者の口調や態度がいくら優しくても、医者としての役割・出来る事に変わりは無い。そういう言葉をかけることのできる医者は、無償のサービス(リップ・サービス)として行っているだけなのだ。

ちょっとした痛みに同情したりすることは、そもそも医者の仕事ではないということを肝に命じておきたい。一瞬たりとも、期待してもいけない。医者という職業に従事する人は、人が病に痛み苦しむ姿をたくさん見ているので、症状が軽い時には反応しないのである。

腫瘍マーカーの値が著しく高かったり、患者が意識を失っていたりする時は、医師も目を輝かせる。それは、嬉しいのではなくて、医師が治療において、ポジティブな目標(命を守ること)に向かって頭脳を最大限に働かせると一見そのような表情に見えるのである。

痛みを和らげるのは看護師の仕事

入院していて、夜眠れないほどの痛みであると、医者が対処する仕事だと思われるが、昼間に昼寝できないほどの痛みである場合には医者は全く関知しない。健康な人でも昼寝はしない人が多いので、昼寝ができないことは必ずしも「生活の質(QOL)」として劣っているとは言えないということになる。

耐えきれないほどの痛みではなくても、昼間ずっと、仕事に集中できないような痛みがあったら、それは何とか治して欲しいと思うのは、決して贅沢な欲求ではない。

こういう時に、看護師さんに相談すると、そういう時は鬱血が起こりやすいので高くすると良いとか、でも高すぎるといけないとか、温めると良いとか、さすると良くないとか、細やかで現実的で実効的な対策を教えてもらえることが多い。

痛みを鎮めたり、不安を取り除いたりすることは、看護師のプロフェッショナルのスキルのうちなのである。ベテランの看護師になると、このような知識は、医者よりもずっと豊富であることも珍しくない。

それでも看護師に頼り切ることはできない。看護師は大変に忙しいので、やはり軽症の人よりも重症の人を見ることが仕事である。

病気を抱えての日常生活の中での過ごし方、といったことは医学ではあまり学ばない。医者の知識となるためには、数多くの臨床研究の後に、「これこれをすると治癒までの期間が10日縮小することが統計的に95%の信頼区間で明らかになった・・・」などが実証されて初めて、医師の知見に加わえられるのである。優先順位があるので、生死に関わる重要なところから医者は勉強することになる。そこには確かな合理性がある。

医者の個人的な研究の結果で診療を行っても構わないのだが、薬の処方は、厚生労働省の認可がないものは保険適用外になってしまう。治療法においても同様のことが起こる。

医療の多職種とは?

医者は診断して、治療方法・方針・計画を示す。手術をしたり、処置をしたり、薬を処方したりする。

看護師は、診察の補佐を行い、手術の補助を行い、処置及び処置の補助を行い、検査の補助も行い、入院や退院のケアを行い、家族への対応も行えば、患者さんに対して痛みを和らげ、不安を和らげるための活動をする。大変に崇高な業務であり、同時に過酷な業務でもある。働き方改革の流れもあり、働き方はどんどんと改善している。

病院で過ごしていると、病院にいるプロフェッショナルの医療関係者はこれだけではない。薬剤師がいる。薬剤師は、入院患者に服薬の説明や退院後の指導をしたり、患者の投薬の効果を医師と相談したりもする。

検査技師は、今ではガンの可能性が高い部分までを指摘する。MRIなど比較的新しい技術では、慣れていない医者も時々いるので、ちょっと怖い。でも検査技師が報告書を出すのでデータの読み方が示される。

理学療法士(PT)は、医学的リハビリテーションをする。筋肉の動かし方などに精通したプロフェッショナルだ。整形外科にかかって、最終的に痛みを止められるのは理学療法士の貢献が非常に大きい。PTの力はとても大きい。

言語聴覚士(ST)は、言語や聴覚、音声などに関わるのだけれども、認知、発達、摂食・嚥下も見ることは知られていないようだ。

他にも、介護士、保健師、管理栄養士、診療放射線技師、作業療法士、救急救命士、など多数がある。

看護師のケアだけを受けられないのか?

では、痛みを和らげるのが、看護師の仕事であるとしたら、看護師にダイレクトにアクセスしたいと思う人も、もしかすると居るかもしれない。

看護師も単独で開業できる。訪問看護ステーションなどはそれである。看護師は薬の処方ができないので、訪問診療する医師と薬剤師の訪問サービスなどと組み合わせて、診療と治療が行われる。実際には高齢者の看護に比重が置かれている。

訪問ではなく、固定の場所で開業している看護師はいるのか、と言うとそれはあまりない。はっきり言って、医者がいない場所で、看護師だけいる「院」があったとして、何を期待して、そこに何を求めることができるのだろうか。でも、あっても良い。もしかするとそういうニーズがあるかもしれない。

患者からすると、何科を受診すれば良いのか、そしてまた、どの医者に行ったら良いか、などを相談できるところが欲しい。かかりつけ医は標榜科しか分からないことが多いので、かかりつけ医では危険なので、病院に行って相談することになる。結局これは看護師の仕事ではない。

高齢化がさらに進むと、看護師や介護士が足りなくなると予測されている。在宅看護・介護に限らず、看護師のニーズはどんどんと高まっている。外国人を呼べば良いという問題ではない。高齢者への対応も、元気な現役引退世代が行えるようになると良いのではないか。55歳から介護士になれるような養成も強化する必要があるかもしれない。

ヘルスケアの領域では、今後の展開が大きく変わることが予想される。これから、さまざまな有益なそして利益の大きいソリューションがたくさんあることは間違いない。

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